Editor’s Eye

2017.11.29

Editor’s Eye

88年経ってようやく和解することができた祖父と父

ー演出について、ホドロフスキー監督は、あなたはとても繊細で、お兄さんのブロンティス氏とあなたそれぞれにとても気を使い、別々の演出をされたとおっしゃっていました。あなたが監督の演出について感じたことはありますか?

父は現場で全ての責任を追っているプレッシャーを時々制御できなくなり、監督であると同時に父親でもあるという二重の立場で急に怒鳴りつけてくることもありました。傷付きやすい私と、祖父役で共演していた兄・ブロンティスとで考えた策というのが、兄が私の演技のコーチをし、兄を通して私に対して演出するということです。ブロンティスは前作でも父の演出を経験していたので、色々な助言や提案をしてくれました。

ー主人公がアレハンドロ・ホドロフスキー監督の分身であり、実際のお父さんでもあるわけですが、実在する人物、しかも父親を演じるにあたり、工夫されたこと、気をつけたことはありますか?

私は彼のDNAを引き継いでいるわけだし、父のことを知りすぎている。なのでついつい身振りや手振りを真似してしまうのですが、なるべく自分であり続けながら、父親であるアレハンドロを自分の個性で演じる努力をしました。そうすることで、誰が見てもアレハンドロの青年期にしか映らない演技ができたのだと思います。

ーお祖父様・ハイメの息子に対する抑圧的な態度は、アレハンドロが成長するにつれて、徐々にソフトになっているような気がしますが、あなたとホドロフスキー監督の父子関係はどうですか? 幼少期から、何か変化していることはありますか?

幸運なことに、祖父と父との関係とは正反対で、父と私は生まれたときからとても良い関係を築いています。父がずっと恨みを抱いている祖父の存在は、エル・トポからホーリー・マウンテン、サンタ・サングレにおいて抑圧的な人物として登場しますが、今回の作品は88年経って遂にふたりが和解した、歴史的な瞬間なんですね。私は父のそういった姿をずっと見てきましたが、父を尊敬しているし、私たちはいつも協力し合っています。映画だけでなく音楽に関しても、父がコンサートの舞台美術を手がけてくれたり、詩を描いてくれたり。私は私で父の映画のプロデューサーを探したりと、常にお互い協力し合っているんです。父がハリウッドスターを毛嫌いしているので、彼の映画に出演できるのが、必然的に息子たちしかいないというのもありますが(笑)。

(C) 2016 SATORI FILMS, LE SOLEIL FILMS Y LE PACTE
photo:(C)Pascale Montandon-Jodorowsky

元カノまで共演。多大なプレッシャーの中で演じた初主演作

ー監督が、今回の作品を制作するにあたりメンタルショックを受け、息子や友人、奥様に対する見方が変わったとのことなのですが、あなたからみて、何か変化は感じられましたか?

撮影のときはいつも以上にピリピリしていましたね。本作では自分の生命の木というか、家系の血を辿り、それを癒そうとしたわけですから。ポスプロに入ったときもプレッシャーに耐えきれず道で倒れて病院に運ばれ、額を縫うほどの怪我をしたくらいです。その後も一年間喘息の発作に悩まされて死にそうになっていました。今ようやく映画が上映され、みなさんに受け入れてもらえたと感じた瞬間に病気は治りましたが。それでまた次の作品の制作に入ろうとしているので、今度は自分の精神面での健康管理をしっかりしてもらいたいと思います(笑)。実はまだ10本ほどの未制作の脚本があり、彼は120歳くらいまで生きて撮りたいと言っています。

ー青年期のアレハンドロを演じて、若い頃のお父様の苦悩や葛藤に共感する部分はありましたか?

私にとっても本作は初の主演だし、父親が演出であり、しかも元恋人も出演していたりと、大変なプレシャーでした。その中でアレハンドロを演じるときに、苦悩を内面から取り出すというよりは、エキセントリックな方法ではなくて、息子だけが知っている父の優しさだったり、繊細さを引き出すように演じました。今回は若い時代だったからそのやり方でよかったのですが、もし次回作があれば、もう少しエキセントリックに演じないとだめでしょうね。アーティストになった後のアレハンドロなわけですから。

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