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2016.07.17

vol.11 TOKYO SYSTEM

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いつまでキラキラ女子のままでパーティを?


パラレルワールドの「TOKYO」が最も眩い光を放つ瞬間、それは紛れもなく夜の喧騒だ。この世界に頻繁に出入りする人々の愉しみ方に、取り立てて時代の変化による影響は見当たらない。ただ二つの違和感を除いては。

一つは、夜遊びの既得権が80〜90年代の情報感度から、00〜10年代で徐々に金そのものにシフトしてしまったこと。これは2000年前後のITバブルの功罪だ。極端に言えば、以前はレアな情報というパスさえ手に入れれば、メガパーティは誰でも気軽に歓迎される盛り上がりを見せていたが、今は金が尽きて途中退散しないような者だけが密室に集まってあの頃のパーティを二次創作している。そんな臭いを感じる。

もう一つは、奇妙に子供じみた大人が増えたこと。時々こんなことを想う。父親は今の自分の年齢と同じくらいの時、もっと大人ではなかったか? 戦争を知っている今の70代後半以上の世代が20歳だった時、年を取るということにはもっと重みがなかったか? 1969年の30歳は学生たちから“あちら側の大人”として扱われる羽目になったのに、どうして2010年代の30歳や40歳はまだ“こちら側の若者や女子”でいられるのか?

そうしたパラレルワールドのマジョリティたちが醸し出す何かキラキラしたもの、何かギラギラしたものが絡み合い、それは“盛られた出来事”や“加工された画像”を通じてシェアされ、やがて人々の言動や空気となって夜の街に漂っていく。

ビッグチャンスを伺いながらいつか実現するはずのリッチ暮らしを夢見ることも、モテのための外見磨きに自己投資することも、芝居がかったパフォーマンスを繰り返しながらフォトジェニックなイベントで自撮り行為に勤しむことも、オシャレなレストランで食事しながら曖昧な恋愛ゲームに浸ることも、「TOKYO」ではすべてが許される。そして夜からダンディズムと流れ者の美学が消え去った。

こんなパラレルワールドに入り込んでから30年以上が経つ。時代の流れの中で、青春が人生へ、世代が個人へと変わることも経験した。タワーマンションの高層階に住んでいると、たまに自分が“自由のない旅人”であり“自由のある囚人”のように思えてくる。これからはきっと「TOKYO」は個々の“強い心”だけが頼りになってくる……時刻は午前2時20分。窓の外にはまだ無数の光が見える。もう眠る時間だ。

(TEXT & PHOTO:中野充浩)

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