-トラッド パリピ- “パリピ”のルーツ、ここにあり 神輿を担ぐ若者たち Trad Party People

2016.12.28

vol.14 TOKYO PARTY
-トラッド パリピ- “パリピ”のルーツ、ここにあり 神輿を担ぐ若者たち Trad Party People

近頃、若者たちの間で「神輿(みこし)担ぎ」なるものが流行っているらしい。それも男女共に増えているというのだ。人によっては、祭りがあって神輿を担げると聞くとわざわざ遠方まで出かけていくのだとか。これも、近年タイフェスだの肉フェスだの、どこどこの国のパレードがあって楽しそうだから参加してみようだの、なんでもいいっちゃいい、ただ騒ぎたいだけの「パリピ」と同じなんだろうか

そもそも、なぜ神輿を担ぎたいのか、あんなに重いものをなぜ自ら好き好んで担ぐのか、なぜ若い男女が神輿担ぎに精を出すのか探るため、実際に、神輿を担いで数十年、”神輿こぶ”があるという知り合いに話を聞いてみた。

神輿担ぎ人に聞いてみた


話を聞いた人は、地元がそもそもお祭りが盛んだったから、小さい頃から当たり前のように担いできたのだと言う。初めて担いだとき、担ぎ方もわからないながら一種のトランス状態になり、それが気持ち良くて、気がついたら神輿にどハマりしていたんだとか。普段一緒にいる仲間と神輿を担ぐらしいのだけど、そのときにしかない独特の高揚感があるらしい。彼らにとって、神輿とは伝統的なことにのっとって、「非日常」を公認でできるところに魅力があるのだ。なるほど。

現代のパリピが騒ぎたいからパーティに繰り出すのに通ずるものがある。神輿担ぎからすると「ただ見ている人たちの気が知れない」とまで言わせる魅力がある。そんな彼らを見て、若者も担ぎたいと思うのだろう。現に、パリピ的なノリで参加する若者も増えているらしく、彼らにとってパーティやクラブ、フェスに行く、現代用語で言うところの「パリピ」と同類で、神輿担ぎが新しい「パリピ」現象となっているのかもしれない。

神輿は神聖!パリピと一緒でいいのか?


そもそも神輿とは、普段は神社にいる氏神様が、氏子(氏神様に守られている人たち)の町内の安泰を祈願して練り歩く際に、神様が乗る(=乗り物の一種)のことで、神聖なものなんですね(すいませんちょっと端折ってます)。 基本的にはそれぞれの土地の氏子が担ぎ、しかるべきルールも土地土地にあり、それを軽んじることは御法度だ。とはいうものの、特に都心ではマンション住まいが増えたり少子化の影響などで、担ぎ手の不足も著しく、町おこしなどの理由で氏子以外の参加を認めるケースが増えているのも事実。まさに、担ぎたい人との利害も一致しているわけである。

で、私見なんですが、なぜ祭りや神輿があるときってああもヤンキー(すみません)人口が増えるのだろうか。どこにいたんだってくらい普段お見かけしなかった人々を見る。「祭り=神輿=ヤンキー」のイメージがある。ただチャラいパリピというよりもどちらかというと硬派に属するであろう。

「ハレ」をとことん楽しむことにパリピの原点はある


話変わり、日本には「ハレ」と「ケ」という伝統的な世界観があるのを知っているだろうか。民俗学や文化人類学において、「ハレとケ」という場合、「ハレ(晴れ、霽れ)」はお祭りや儀礼(晴れの舞台とか聞いたことある?)、年中行事などの「非日常」、「ケ(褻)」は普段の生活である「日常」を表す。要は、「ハレ」の日は年に数日しかなく、他のほとんどが「ケ」の(つまり普通の日)日であるため、「ハレ」の日(つまり祭りの日など)にはみんな気が狂ったように騒ぐというわけだ。そして日本人は「お祭り(ハレ)」が大好きだ。お祭りが時代の変化によって参加者たちの利害とは離れてしまったり、行事の内容も社会環境の変化などで変更せざるを得なかったりしても、お祭りというと、今も昔も変わらず老若男女がワイワイ楽しんできた。例えば先日行われた、京都の祇園祭、飛騨の高山祭とともに日本三大曳山祭に数えられる「秩父夜祭」は、300有余年の歴史を誇る素晴らしい例大祭で(しかも今年12月1日にユネスコの世界無形文化遺産登録決定)、その壮大な山車を見物しようと全国から人々が集まる。こんなに歴史があるのは、それはやっぱり昔から日本人がお祭り好きだったからに違いない。お祭りでは沿道に屋台が沢山出て、沿山車や太鼓台、だんじり、神輿などが町内を練り歩く。大声でワッショイワッショイする。

これはパーティという現代の”創られたハレの日”でパリピが騒ぎ立てるのは、”お祭りというハレの日”に血が騒ぐ神輿担ぎのDNAから来たものではないのだろうか?と推測するのである。
確かに、時代の変化とともに世俗化が進んでしまっているけれど、お祭りは都市化によって人間関係が希薄になってしまった地域住民の心を一体化させるという重要な役割を担っていることも忘れてはいけないと思う。
変化のない日常の中に非日常の空間があるということ、これこそが大事なのではないか!となると、パリピもなかなか捨てたもんではないと思うわけである。そして数百年前から存在していた「祭り(神輿担ぎ)」は、現代の「パリピ」のパイオニア=”トラッド・パリピ”だったのかもしれない。

補足:
ハレの日の宴会。それはお祭りや儀礼だけの特別なものであったのに、いつの間にか日常的に行われるようになっている。これは、ほぼ毎日のようにクラブでイベントが行われていることに通ずると感じる。毎日がパリピ……。近代化によって、ハレとケの区別が曖昧になると指摘した柳田國男(ハレとケを見いだした民俗学者)の言う通りになってしまったわけだ。パリピを否定する気はないけど、日本は平和だとつくづく思う。

(Text:太田 青里)

<日本三大曳山祭り>
【秩父夜祭】
 http://www.chichibuji.gr.jp/?page_id=6
【京都祇園祭】
 http://www.gionmatsuri.jp/
【飛騨高山祭】
 http://kankou.city.takayama.lg.jp/2000002/2000024/

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