『素人の乱』『マヌケ宿泊所』 オーナー松本哉氏に聞く カオスタウン“高円寺”今昔物語 KOENJI, Rock 'n' Roll

2017.06.12

Vol.18 中央線快速物語

学生時代を高円寺で過ごしたという当サイト編集長、長崎(左)と松本さん。高円寺の話が尽きない。

商店街至上主義


――高円寺北中通り商店街の途中にある『なんとかBAR』の辺りには、トタン造りのかなり老朽化した建物が残っていますが、建築基準法も消防法も完全にアウトですよね。

M:そうですね。あの一角は洋服屋さんとか色々入っているんですけど、全部違う建物を無理やりくっつけてるんですよ。
N:行政も見て見ぬふりをしてるんじゃない?

――ああいうバラックはここ20年くらい、都内各所で一掃されていますが、高円寺は手つかずの状況なんでしょうか。

M:みんな諦めてるというか(笑)。でも、東日本大震災で古い建物が結構壊れてしまい、ある銭湯も震災後に辞めちゃったんです。そうしたら、その廃墟状態だった元銭湯の物件を、インド系の人たちが借りたみたいで、中を改装して謎の集合住宅を作っていたんですよ。大浴場の中にタコ部屋みたいな個室をたくさん作って、湯船の中にも人が住んでたんですよ(笑)。でも、みんなニコニコして幸せそうで、本当のインドに来たような世界になってました。詳しい事情は分からないんですが、その後使用禁止の張り紙が張られるようになって、つい最近壊しちゃったんですけどね。
N:そういうことを許しちゃう懐の深さがすごいよね。高円寺は下北沢とよく比較されるけど、空気感がまったく違うし、むしろ高円寺に失礼だよ(笑)。

――そんな下北沢も近年は開発が進んでいますが、高円寺にはそういう話はないんですか?

M:20~30年前に、南口の大通りを北口まで通す計画があったらしいんですけど、商店街を一つ無くすことに反対運動が起こって、結局計画はなくなったみたいですね。
N:僕が住んでいた頃にも駅前に大きなバスロータリーを作る計画ががあったけど、「そんなにバスの数はいらない」っていう住民の反対もあって、コンパクトなロータリーになりましたよ。
M:北口広場も最初は、芝生に謎のオブジェがあるような計画だったらしいんですけど、商店街の人たちが「そんなの意味ねーだろ! 」って反対して、何かやりたい高円寺の若者たちのためやイベントとかの使い勝手も考えて、何もない広場になったんですよ。杉並区としても予算は少なくて済むから、結果的に良かったでしょうけどね。

高円寺北中通り商店街を歩く。

――行政も企業も締め出す高円寺のイデオロギーって何なんでしょうか?

M:反対運動で追い出しているというよりは、寄せ付けない雰囲気がある気がしますね(笑)。
N:ようはマインドがロックなのよ(笑)
M:言うこと聞かない人が多いんですかね(笑)

――地主の方の力が強い傾向とかもあるんでしょうか?

N:国分寺辺りだと大地主がいたりするけど、高円寺は小規模でたくさん地主がいるから、まとめられないんじゃないかな。あと、今の商店街の人たちの世代は、昔は長髪でベルボトム穿いていたような、やんちゃな人も多かったんじゃないかな。
M:結構そういう人もいますね。僕は以前、杉並区議の選挙に出たんですよ。別に政治家になりたいわけじゃなくて、選挙に出ると合法的に街頭が使えるんです。駅前にトラックで作った選挙カーを停めて、1週間ライブや演劇、DJとかいろんなイベントを毎日やりました。アメリカから来たDJが、応援演説の腕章とかつけてプレイしたり(笑)。そうしたら、若い奴らはみんな喜んで、帰宅中のサラリーマンがライブのモッシュに巻き込まれたり、街がアナーキーな状態になりましたよ。もちろん怒る人もいたし、選挙も当然落選したんですけど。その後、商店街の会合で色々賛否の議論があったんですが、「とりあえずあいつらも何かやりたいらしいから、あいつを責任あるポジションにつかせよう」ということになって、何故か僕はこの商店街の副会長になることに。普通だったら怒られて、追い出されるかと思ったんですけどね(笑)。会長さんも昔学生運動とかやっていたみたいで、そういう世代的な理解もあるんだと思います。
N:商店街のルールが政治よりも、法律よりも上なんだろうね



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