『素人の乱』『マヌケ宿泊所』 オーナー松本哉氏に聞く カオスタウン“高円寺”今昔物語 KOENJI, Rock 'n' Roll

2017.06.12

Vol.18 中央線快速物語

高円寺の生態系


――高円寺はわりと人気に浮き沈みがあるようなイメージがありますが、松本さんが開業された12年前頃の高円寺って、どんな雰囲気でしたか?

M:ちょうど古着ブームの頃だったので、高円寺自体は盛り上がっていたんすけど、この北中通り商店街は閑散としていましたね。戦後に商売を始めた人たちが70~80代になっていた頃で、今ではその世代の人たちは引退したり、亡くなったりしてしまいましたけどね。
N:高円寺って南口やガード下だったり、盛り上がってるエリアが時代によってちょっとずつ動いているんだよね(笑)。だから高円寺は浮き沈みというよりは、ずっと低空飛行なんですよ。うっかり上がっちゃうと街って変わっちゃうじゃない。

――客観的には“おのぼりさんタウン”的な田舎の子が、上京したら住みたい街というイメージもありますが?

N:僕らの頃は売れないミュージシャンたちが多かったかな。老舗洋食屋の『ニューバーグ』の入り口には、ギター置き場あったんですよ。僕は大人になってからベースを習いに高円寺に通ってたんだけど、わざわざ担いで歩きたいっていう気持ちになるもんね(笑)。
M:どちらも未だにありますね。リサイクルショップはそういうお客さん多いですからね。中には「ギター1本持って東京来ました! 」みたいな、いつの時代の人間だよっていう人もいたりして(笑)。昔はたくさんいたパンクスが高齢化して減ったり、そういう変化はあるんですけど、そうするとまた違う種類の変な人たちが来るようになるから、雰囲気はどんどん変わるけど、変さ加減は変わらない印象がありますよね。
N:変のカテゴリーが違うだけで、変さレベルは一定なんだよね。
M:そうなんです。インド人の謎のコミュニティーとか一時前まで全然なかったのに、今は高円寺も国際化してきたなぁって感じます。見るからにクセありそうな人が、たくさん歩いてますよね。

――人やカルチャー、国籍なども超越して、同じ匂いに引き寄せられた人たちが集まるのが高円寺なんですかね。

M:僕なんて高円寺歴10数年なんで、まだまだ外様みたいなもんです。パンク界の大御所とか古着屋の帝王とか、高円寺の神々みたいな強豪がいっぱいいるんで、偉そうなこと誰も言えないんですよ(笑)。
N:昼間はまだまともだけど、夜は特にすごいよね。
M:うちのBARも店開けていれば、朝7~8時でも永久にお客さん来ますよ。そういうとんでもない時間は、高円寺中の店で出入り禁止になっているような猛者とか、手に負えないような人が来るんですよ。高円寺は常に予想外の事態が起こるので、住んでいる人も油断できないところも、ある意味魅力なんでしょうけどね。
N:中野とかはブロードウェイとかにカオスが閉じ込められているけど、高円寺は街にカオスが解き放たれてるんだよ(笑)。やっぱり夜の一本裏通りが、高円寺なんだよ。
M:とはいえ、かなり普通のチェーン店とかも増えてきているので、今後どうなるのかわからないですよね。
N:松本さんみたいな人たちに、ぜひ高円寺を守って欲しいですね。
M:色んな人と人たちをどうやってごちゃ混ぜにするかというのが、僕らのメインテーマ。僕も色んな変なお店を作って、混沌とした大混乱の街にできたら面白いなと思っています。
N:物価安いし、何となく楽しそうだからって地方や別のエリアから移り住む人が多いのも、高円寺は流れ者に優しいから、優しくされるといついちゃうっていうのも魅力なんでしょうね。



――それがクセになって高円寺から離れられない人たちも多いんですかね?

M:高円寺から出たら死んじゃうような人も結構いますしね(笑)。ここでしか生きられないだろうなっていう。

――都心にこれだけ近い街なのに、東京的免疫力低すぎますね(笑)。

N:ホントそう(笑)! 僕も大学中退してまだ高円寺住んでいた時に、「お前高円寺から出ないと一生このままだぞ」って高円寺の人に言われましたよ(笑)。

――当時だって原宿にも音楽やファッションが好きな若者はたくさんいましたが、高円寺のそれと何が違うんでしょうか?

N:原宿は上を目指しているような人が多かったけど、高円寺は上も下もない(笑)。死ぬまでこの楽しい生活が続かないかなっていうマインドだったね。
M:みんな何かしら目論んではいるんですけど、どう考えても成功しなそうなことなんですよね(笑)。



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