2017.11.28

Vol 21.学ぶ東京

住職さんに聞く!マインドフルネスとは?


臨済宗大徳寺派香林院の住職である金嶽宗信(かねたけそうしん)さんは、東京の一般家庭で生まれ、12歳で京都大徳寺で出家。中学・高校時代は大徳寺から学校に通い、放課後はお寺で修行するという小僧生活を送り、東京の大学を卒業後、大徳寺に戻り、雲水修行を10年行ったあと、ここ広尾の香林院で住職に就いた。父親が教育者だったが、ある事件がきっかけで「教育で人は救えない」と悟り、禅僧の道を目指したという。坐禅会を始めたのは15年ほど前、ある人が電話で「坐禅がしたい」と申し出てきたので、たった一人のために禅堂を開放したことがきっかけ。その後人づてで広まり、希望者が増えて、今のスタイルとなった。
今回の坐禅の感想と、気になったことを聞いてみた。



「みなさん、坐禅中は目を瞑ってますけど、どちらでも良いんですか?」
「目は瞑りません。瞑った方が楽ですが、それは逃避です。現実から目を背けてはいけません。」

「でも、住職さん目瞑ってましたよね?」と突っ込みを入れてみた。
「瞑ってませんよ。」と金嶽さん。

「科学的に実証されているのは、坐禅はセロトニン※3神経を活性化すると言われています。セロトニン神経を活性化するには光を取り込む必要がある。平日坐禅会を行っている朝7時から8時までが、それにベストな光量なんです。」
早朝目を半眼にし、あごを引いて視線を1mくらい前方の床に落とすのが模範的な姿勢とのこと。住職さんは実は目を瞑っていなかったようだ。

「瞑想は目を瞑りますよね。近年注目されている“マインドフルネス”についてどう思われますか?もともとは禅の考え方がルーツにありますが。」本題に入った。
「瞑想のことは詳しく知りませんが、休息に近いのではないでしょうか。“マインドフルネス”は、禅思想から宗教色を取り除いたものですよね。例えば、瓦、畳、梅干し、たくわん、塩、味噌、日本茶、床の間、庭園、落語、能、剣道。これら全て禅宗に由来しているものです。日本人はこれらが日常にある。それをわざわざ外国に持っていき、外したものを逆輸入してありがたがるというのも、不自然な気はしますね。」



確かに。もしかしたら、生まれたときから欧米ナイズされていて、漢文よりも英語の方が馴染みのある自分たちの世代(30代前後)にとっては、むしろ“マインドフルネス“思想の方が取り入れやすいのかもしれない。禅を習得しようとしたアメリカ人のスティーブ・ジョブスよりは、容易に禅思想を理解できるはずではあるが。

坐禅とは、“味噌の出汁”みたいなもの


「住職さんは、何で坐禅するんですか?」核心に触れる質問を投げかけた。
「臨済宗の修行では、坐ることで悟りを開くんです。悟りとは何かというと、自分を知ること。自分の心がわかれば、自分は自分で幸せにできます。不愉快なことがあっても、自分がどうすれば上機嫌でいられるか知っていれば、ただその行動に移ればいい。自分を幸せにできるのは、自分しかない。幸せになりたいなら自分を知ることです。」



「僕に言わせれば、坐禅は味噌汁の出汁みたいなもんですよ。出汁だけ飲んでも美味しくないけど、それがあることによって旨味が増し、全体がパワーアップする。それが禅の根底にあり、日本人の精神の根底にあるのだと思います。」

なるほど。日本人ならばやはり坐禅。しかも、一度や二度でなく、毎日短時間でも良いから続けることが大切だ。余談だが、来年1月に新作が公開される“カルト映画の巨匠“と名高いデヴィッド・リンチ監督は、40年以上、1日も欠かすことなく瞑想を行っているという。表現者にとって、自己探求は永遠の課題だ。一般ピープルの私たちにとっても、金嶽さんのおっしゃるように自分を知ることが、人生を有意義にする最良の手段であるのは疑いようのないことである。“マインドフルネス“を実践するために、 坐禅でも、ヨガでも瞑想でも、サーチ・インサイド・ユアセルフでも方法は何でもよい。自分に合ったやり方で「自分探し」の旅に出発すること。ということで、毎朝自宅で5分、坐禅を実践中だ。

(Text:Nao Asakura
(Photo:marcy)

取材協力:臨済宗大徳寺派香林院

※1 臨済宗…日本仏教において禅宗のひとつ。
※2 警策…坐禅のとき、修行者の肩ないし背中を打つための棒。
※3 セロトニン…脳内でつくられ、精神を安定させる働きがある別名「幸せホルモン」とも呼ばれる物質

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