2014.12.03

vol.3 The Movement-TOKYO 2014-2015
●“こじらせ女”からの脱却

――そもそも永子さんが恋愛について執筆するようになったきっかけは?

H:SNSやブログが普及する中には恋愛コラムも多岐に亘ってあるけど、自分の事をしっかりと書く人が少ないなと思っていたんです。分析が上手だったり、第三者の目線での切り口が鋭い人もたくさんいらっしゃるけど、特に“こじらせ女子”みたいにネガティブな自分たちを許し合ったりだとか、自虐ネタみたいにコケにし合って、ダメな自分たちを共有する優しさみたいな、まやかしに向かっている時代に対して、バカらしく感じていて。これをハッキリ言っちゃう人が現れたら、面白いんじゃないのって思っていたんです。そんな時にたまたま『messy』が創刊するということで、「あ、じゃあ、私それやるわ」って勝手に立候補したの。ほら、好きだから、人に期待せず、誰にも頼まれていないのに自ら実行しちゃうの(笑)。

――最近よくいう女性の“こじらせ”っていう現象は、昔からあるのでしょうか?

H:これは私の勝手な分析ですけど、団塊の世代とかはこじらせる暇さえなかったと思うんですよね。逆に、今ゆとりがあって、人生の選択もその情報も多様化されていて、色んな生き方ができるお陰で、あれこれ考えるソースがあり過ぎるんだと思います。さらに、こじらせている人たちが、色んな情報をこじらせたまま発信していくと、伝播していくのを“こじらせパンデミック”って私は呼んでるんですよ(笑)。女ってネガティブポイントで握手する人が多いんですよね。

――こじらせって感染するんですね(笑)。それは何故でしょうか?

H:類は友を呼ぶんでしょうねぇ。要はこじらせって色んな要素がぐちゃぐちゃに固まってるように見えるかもしれないんだけど、実はそうじゃなくて、色んな事を表層的に捉え過ぎて、自分に紐づかないままの情報がこんがらがった状態なんですよ。じゃあ、それをひとつずつ解けばいいじゃんってだけの話しなんですよ。

N:結局みんな物事の表層を追いかけ過ぎな気がするんだよね。

H:団塊世代が良かったころは、表層が幸せにしてくれることも確かにあったと思うんですよ。でも、今は決してそうじゃない。自分なりの結論とか解決を自分で生んでいかない限り、自分を幸せにはできない時代になっていると思う。

――こじらせの解決策は自分自身にあると。

H:そうです。こじらせは、単純志向だからこそ生まれているものだと思うんですよ。だいたいの悩みや問題の原因って、自分の思考癖や生き方、感情とか、相手の事情とか、色んなものが複雑に絡み合ってできているんですよ。それをキレイに仕分けることが出来ると、問題解決の速度は早まる。でも、それをせずに、ぐちゃぐちゃとした悩みを放置していても、一向に解決しませんよね。見たくも触りたくもないから、なかったことにしよう! 難しいことは考えるのやめよう! っていうやつが、一番面倒くさいっていう話し。そういう単細胞が益々こじらせるんですよ。

N:それってさぁ、「その面倒くさい事を全部解決してくれるのは、すごい素敵な彼氏」っていう、謎の存在が登場するやつじゃない(笑)? これで一気に解決するっていう妄想を抱いている女子っているよね。そんな彼氏いるわけないんだよ。

H:そういうこと(笑)。私の目的はシンプライズなので、それには必要な作業がこれだけありますよっていう提案なんですよ。その提案の方がかえって複雑に見えて、面倒かもしれないけど、そのひとつの工程をしっかりと自分と向き合ってやってみるだけで、ぶれない太い軸もくっきり見えてくる。恋愛や仕事や結婚で悩んでいる人たちって、軸が見えていない人たちだから、しっかりとそこを見ろってことです。

――すごくよく分かります。でも、若干のこじらせを自覚している私からすると、それってなかなかしんどい作業ですよね。

H:超痛いよ。でも、そんなの手術もそうじゃん。デトックスに痛みはつきものだし、清潔に生きていくには孤独も必要。悪しきものみたいに扱っているものが、自分の人生をものすごくプラスに変えてくれることってあるんですよ。

N:30代ってまだ半分だからね。残り半分をどう生きるかって大きいよ。

H:そう。残り半分の人生を走りきるためには、いま土台整えないで、いつやるんだって話しですよ。

N:今のこじらせみたいな子たちが、60歳、70歳になったら本当に悲惨だろうって思うよ。

H:そういう大体の人が、スタイルやパターン、役割とかにハマっていこうとするじゃないですか。世の中にも“こういうパターンをやれば幸せになれるメソッド”みたいなものが溢れていて。でも、そんなの全部ぶっ潰して、自分が良いと思うことを自分が決めて、とにかくそれをやる、それだけですよ。それにはクラッシュすることもたくさんあるけど、そこで初めて「これは駄目だったんだ」て、自分なりの取捨選択ができてくるんだと思いますよ。

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●自分の正解探しは30代がリミット

H:私は誰の生き方にも文句を言うつもりもないし、私からアドバイスできることなんて皆無だと思っています。人はそれぞれなので。自分の生き方、考え方を「私はこう思う」とはっきり明言する人間のひとつのケースとして、世の中に放たれるだけで十分。ただ、ひとつだけ言えるのは、それぞれ自分の正解は30代のうちに見つけた方が良いっていうことです。

――何故30代なんでしょうか?

H:最後の前半だから。30代の頃の迷いって、基本的には何となくやり過ごしてきちゃったことのツケなんですよ。例えば結婚したいんだったら、何で自分が結婚したいのか、“理由の明確化”が大事なんです。自分が何を求めているのか、おぼろげであっても模索して、実行している人は、自分の希望が研ぎすまされますよね。自己の芯も磨かれる。失敗しても、実体験に紐づいた改善案だったり、選択肢が減るという正解だったり、今より一歩、自分の希望に近づける方法論を体得できる。一方で、世の中の情報に左右されたり、こんな自分でいいのかっていう不安を持っちゃう人は、最初から筋を立てて考えなかった人たちですよね。要は順序の問題です。先に自分の芯がなければ、これまでも、この先も、与えられた状況に常に戸惑います。先に掲げた希望に向かって、それを現実的に獲得する活動に出ている場合は、悩む暇なんかありませんよ。失敗もまた大いなる糧だから。迷いの要因の取捨選択をして、どこまで強い芯を育て上げられるか、それが後半の人生を迎える前にやっておくべき鍛錬だと思う。

――そのツケは、30代でしか清算できないということですか?

H: 40歳超えたらしんどいと思うよ。女性ホルモンもどんどんバランスが崩れていくし、心身ともに若い頃のままではいられないし。それに40歳にもなって自分の人生の責任も取れないって、大人として終わってるでしょ(笑)。若者に見せる顔がないよね。30代のうちにざっくりでもいいから、自分の正解は見つけるべきです。情報に乗せられてぼんやりと生きているんじゃなくて、自分はこうやって生きていきたいんだから、一先ず3年やってみようとかでもいいし。自分の欲望を具体化していくってことが大事なんですよ。

――30代の悩みって、確かに自分への甘えからくるものが多いかもしれませんね。

N:30代ってもういい大人なんだよね。でも、東京っていう街がそれを何となく許すのよ。例えば結婚でも、田舎の場合は親や周囲が許さないじゃない。でも、東京の場合はそれが微妙に薄いんだよね。それに、周囲にそういう人がいっぱいいると、変な安心感があって、それが人をぬるくしていくんだよ。

H:ねむたいヤツ多いね~(笑)。30代くらいで彼氏がいなくて、お先真っ暗みたいな顔してる人を見ると、他にやることないのかよって思っちゃう。体力的にもメンタル的にも、30代は一番の踏ん張りどころなわけよ。同時にキャリアも出てきてるから、子供じゃいられないし、世の中とのせめぎ合いもそこそこ経験してるし、ここで固めなきゃいつ固めるのって時だから。

――私は30代になって、恋愛に対して臆病になっている部分があるんですが、それも自分の正解が見い出せていないからなんでしょうか?

H:正解なんて、仮でもいいから一旦決めちゃえばいいんですよ。私の印象としては、頭で考えている人が多過ぎる気がします。私も理屈っぽいから考え過ぎってよく言われるけど、私が一番大事にしているのは“感覚”、“感性”、そして“実行”なの。インプットとアウトプットを私らしくつなぐ思想と正解を照らし合わせる工程が“考える”作業です。でも、実行力のない人や、人になんとかして欲しい人、自分の正解を持っていない人は、人から見られてどうだとか、お金がないから結婚できないとか、全然別のレイヤーを話に取り込んでくるんですよ。そんな砂も浮き輪もゴミも浮いている波打ち際でバシャバシャするから何にもならないだけで、黙って泳いで沖に出ろって(笑)。


――溺れてみろと(笑)。

うん。そんな溺れてる時に、結構カッコイイ男が助けてくれたりするから。

――それって、極限状態だとイイ男に見えちゃうってだけじゃないですか?(笑)

いいんだよ。大いに錯覚を楽しんじゃえば(笑)。

――私も含め、30代女子には結婚、出産への憧れ、未練のようなものがつきものですが、それもひとつの答えを見つけておくべきですか?

H:それは発想の転換で、私の場合はそれ自体が社会からの洗脳だって思ってる。自分が諦める・諦めないっていう能動的な話じゃなくて、情報にそう思わされてるだけの話しだから、その情報を自分から断ち切っちゃえばいいと思う。

――永子さんはシングルマザーでも子供は産みたいという感覚はないですか?

H:ない。子供は好きだから産みたいとは思うけど、欲しいなぁってライトに考えて産んじゃダメだと考えています。重責が伴うので。もちろん、産みたい人は産めばいい。選択はどうあれ、自分は子供の頃にどう思ったかとか、どういう境遇だったかとかも含めてしっかりと自分を見つめて、筋道立てて考えておくことは必要でしょうね。40歳や50歳過ぎたら、どんどん脳は固まってくるし、物の見方も視野もすごく狭くなってくる。それまで漫然と生きて来た人は、その慣習に即した生き方を簡単には変えられないし。だからこそ柔軟でタフなうちに、自分の希望の明確化の準備はしておけ、と。

N:いや、変えられるけど、背負ってるものができてきちゃうじゃない。仕事や高齢になった親だとか、どうしようもないものがいっぱい出てくるんだよ。

H:確かにそうですね。だからこそ、フレキシブルに対応できる年齢のうちに、そこをすごく意識して言動してみるっていうのはすごく大事な気がする。ブレない軸がわずかでも形成されていれば、何が起こっても、自分らしい対処の方法を導ける可能性が高くなるから。

――永子さん自身は、40代からの人生を楽しいと感じていますか?

H:はい。今の自分が、私は一番好き。40歳のバースデーをお祝いしてもらった時に、ガッツポーズしたもん。色んなリスク背負って、社会にガチで体当たりして、捨てたり、拾ったり、傷ついたり、大事にしたりしてきたことが、すべて間違いじゃなかったって確信を得た瞬間だったよ。 ――それは成し得た人にしか、言えない言葉ですね。

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