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2015.12.05

vol.8 TOKYO TASTY
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ここは、渋谷セルリアンタワー能楽堂。客席に向かってドーンと斜め前に張り出した能舞台は、四方八方に枝を伸ばす松の大木のよう。正面左手には、白、青、赤、黄、黒の五色に彩られた長い揚幕、欄干のかかった上り坂のような細長い通路。右手には、くぐり戸のついた小さな門。屋根の内側を見上げれば、滑車。さすがは700年前の室町時代から続く、日本の古典芸能「狂言」を演ずる場という感じが、新参者の筆者にもひしと伝わってきた。

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しかし、何かが違う。開演前の会場を歩き回ってみると、能楽堂のとなりにはラウンジスペースがあり、ヘッドフォンに耳を当てつつ、音響機器をチェックしている渋い着物姿のDJやモダンな和テイストのバッグや小物の展示販売ブースには、同じく粋な着物姿のスキンヘッドの男性がいる。

表にはいつのまにやら、スタンディングバーが設置されていて、傾いたままそり立つスコッチ“オールド・パー“のボトルがずらり。ドアオープンすると、20代、30代とおぼしき女性たち、外国人カップル、仕事帰りのサラリーマンやOL風の男女、着物姿の淑女、殿方など、いわゆる日本伝統のイベントで見るような景色とはちがって、年齢も職種も、何もかも千差万別なお客さんが続々入ってくるのだ。

「狂言ラウンジは、パーティー感覚で、気軽に、狂言を楽しんでいただきたいという想いから始まりました」と語るのは、今をときめく狂言界の貴公子こと、狂言師・大藏基誠氏。第35回を迎えたこの日、来客総勢200余人、満員御礼の会場で体感した狂言の面白さ、楽しみ方、イベントの見どころをご紹介しよう。

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「なぜ、能楽堂の舞台には松が描かれているのか?」という素朴な疑問に対する答えや、「拍手は、演者が入幕したあとに…」など、狂言にまつわるあれこれを、初心者にも分かりやすくデモンストレーションしてくれるのが、大藏氏と深い交流のある演劇パフォーマンスユニット・円盤ライダーのふたりだ。イベントが始まると、客席の一角から突如、登場し、観客席からはドッと笑いが。舞台には上がらずに、舞台正面あたりに向き合って立ったまま、会話仕立ての掛け合いを見せてくれる。

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一方、その頃、楽屋では、現代風に言う“ネタ合わせ”が行われていた。大藏氏と向き合うのは、茂山良暢氏(左・狂言方大藏流能楽師四世茂山忠三郎氏の長男)。「一体どうすれば、よくもそんな長いセリフが頭の中に入るんだろう?」と感心しつつ、寸分の狂いなく、ぴったり息のあった二人にしばし見惚れるあいだに、衣装の着付けは手際よく、着々と進んでいく。

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本番直前というのに、楽屋には終始、和やかなムードが流れていた。演者同士が着付けの手伝いもするし、台本のページをめくってセリフを確認したりもする。「いざ、出動!」の時間になると、一同、サッと立ち上がり、スタスタと機敏な足取りで、“鏡の間”に向かっていく。

この部屋は、能舞台から向かって左側、揚幕の奥にある板敷の特殊な部屋で、演者が出待ちするところだ。足袋を履いて上がることが必須だったが、持ちあわせていなかった筆者に、“足袋スリッパ”なるものを貸してくださったのは、茂山氏。途中で脱げていないかと、何度も確認したほど軽く、デリケートな絹素材のものだった。

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いよいよ、大藏氏が舞台へ。観客席は、先ほどとは打って変わって、シンと静まりかえっている。揚幕が上がると、緊張感と熱気のこもった空気がサーッと入ってきて、鳥肌が立った。

狂言は、能とひと括りで“能楽”と呼ばれるが、大きく違うのは、後者が、歴史上の人物が登場する貴族的な社会を描くエレガントで柔和な象徴劇であるのに対して、「笑い」を基調にしたセリフ劇であること。ごく庶民的な視点から喜劇的に描かれたコメディーであり、演目はどれも、喜怒哀楽や人間ならではのおかしさにあふれている。

例えば、この日の「宗論(しゅうろん」のあらすじはこんな風だ。法華僧が、京都へ帰る途中、浄土僧と出会う。互いに中の悪い宗派と分かり、法華僧は別れたがるが、浄土僧は離れず、宿まで追ってきて泊まることに。ふたりはけなし合い、一晩中宗論をして負けた方が、宗旨替えをすることになるが、論争は勝負がつかず、ふたりとも寝てしまい、翌朝とんでもないことに…

と、スジは至ってシンプルで分かりやすく、時代は違えど、同じ人間なら経験したことのあるできごとやシチュエーションが多い。不思議なのは、演者が使う言葉は、「このあたりの者でござる」、「やるまいぞ、やるまいぞ」など、室町時代の人々が実際に日常会話で使っていたものなのに、抑揚の効いた、どこかメロディアスな口調のせいか、10分も経つと、耳に心地良く馴染んでくること。

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その動き、その表情、絶妙な間の取り方で掛け合うセリフに、ホロッと、クスッと笑う声があちらこちらで起き、中盤をすぎると、観客席は爆笑の渦に。この日、少なくとも、15人ほどの外国人客を見かけたが、なんと彼らも皆、日本人客と同じタイミングで、同じように爆笑しているのである。「おそらく言葉の面では、ハンデがあるのでは?」と勝手に心配していたのだが、どうやら無用だったよう。狂言は、国境も国籍を越えて、人々を笑いに誘うグローバルな芸能だったのだ。

もうひとつ、驚いたのは、若い女性客の多いこと。当初、大藏氏が思い描いたように、気軽に狂言を楽しんでいる姿が見て取れた。終演後、ラウンジに登場した大藏氏の前には、彼女たちを含めたファンの長蛇の列。国民的アイドルばりの撮影会、廊下にはオールド・パーのグラス片手に談笑する人たち。皆、心底、いい笑顔だった。

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狂言ラウンジが凄いのは、楽屋裏を見学できる「バックヤードプラン」も用意されていること。大人2人の鑑賞チケットとバックヤードツアーがセットで6,500円(ワンドリンク付き)。2001年には、ユネスコの世界遺産(無形文化遺産)に登録された狂言の舞台だけでなく、その裏側まで公開するとは、知るところ、前代未聞の試みだ。チケットは、海外でも発売されており、人気を得ているそうで、今年最後の公演となる12月17日(木)の残席は残りあとわずか。なお、2016年も2ヶ月に1度のペースで開催予定とのこと。

取材中ということを忘れそうになるほど、観客の人たちに混ざって、大笑いした晩秋の夜。帰り道も、印象に残る場面を想い出すたび、笑いがこみ上げてきた。そう、狂言は、あと味も最高にテイスティーな芸能なのだ。渋谷に行くなら、何はともあれ、ぜひ、笑いの聖地・狂言ラウンジへ!

(Text and Photo: 岸 由利子)

狂言ラウンジ
http://www.motonari.jp/lounge

能楽師狂言方大藏流 大藏基誠 公式サイト
http://www.motonari.jp/

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