Tokyo Pop Culture Graffiti

2015.04.10

tokyoPop

同時代の高校生がメディア経由の情報や大人たちや企業が提供する場所やモノに躍らされるのではなく、自分たちの手で流行や現象を作り出そうとする動きをしていたことに対し、20代のサラリーマンやOLたちは全くその逆で、仕掛けられたものを歓迎した。だからこそファッション雑誌やタウン情報誌(*15)、トレンディドラマ(*16)や恋愛バラエティ番組(*17)、デート向け映画(*18)のほか、CM(*19)でさえシンクロした。

タクシー券や経費が使い放題で、1回のボーナス額が3桁(*20)が当たり前の時代。「リッチ」とか「トレンディ」がドレスコードになった「バブル80’s(バブル・エイティーズ)」というパーティでは、数ある宴の中から何を選択してどう楽しむかが肝心になり、他人目線や優越感も重視された。最新を追求(*21)することも、余分なモノを買い持って満足感を得ることも、虚飾をどこまで気取れるかも、すべてが許された。

「忙しくてさぁ」とシステム手帳片手に微笑むのがクールなパフォーマンスになり、留守電の件数や交換した名刺の枚数、金曜の夜の相手探しや何人の異性と親しい間柄になれるか気を揉んだ。走り続けるミッドナイト・エクスプレスに乗車した者だけが自分を見失って遊ぶことができた。

世間の誰もが一つの時代の区切りをつけようとしていた1989年。その年は昭和と平成の境目であり、多くのメディアが「さよなら80年代特集」を組んだりしたが、狂乱のパーティは別に途切れることはなかった。さらに加速するかのようにバブルは膨らみ続け、年末には平均株価が遂に最高値3万8915円を記録する。
日本経済がもはや制御不能になっていくクレイジーな過程の中、TOKYOのサラリーマンやOLが傾倒するアルマーニズム(*22)は大企業に勤務する者たちに著しく描かれた。彼らが何よりも一番恐れたのは、流行に遅れてしまうことだった。

しかし、華やかな暮らしの中で幸せになりたがったり、毎日新しい刺激があって新しい話相手がいてという光だけを求める姿勢は、一歩間違えると時代のエアポケットに溺れてしまう。軽やかにパーティの波に乗っかっていた者のそばで、そうやって沈んで行く者、出口のない迷路を彷徨う精神的ホームレスがやけに目立つようにもなった。海外ではベルリンの壁崩壊や天安門事件など革命の嵐が吹き荒れる中、それでもジャパンマネーは巨額の買収ゲーム(*23)を続けていたし、権力者たちは金とのロマンスにどっぷりと浸かったままだった。

そして永遠に続くはずだったパーティは突然、まさかの終焉を迎える。ハイになり過ぎて上昇し続けていたTOKYOの地価が冷え込む時が来たのだ。株価もすぐさま影響して下落し始め、同年10月には3年7ヶ月ぶりに2万円台を割ってしまう。不動産業者の倒産、金融機関の巨額損失……翌年春にはバブル経済は完全に弾けた(*24)。こうしてTOKYOで延々と繰り広げられていたパーティは一旦お開きになった。
繁栄が実体のない株価や地価の高騰の上に成り立っていた「バブル80’s(バブル・エイティーズ)」──渦中の1988年4月から背を伸ばし始め、1991年3月に落成した総工費1569億円の新都庁ビルが、まるでバブルの墓碑のようにそびえ立っていた。(episode#05に続く)

(Text: 中野充浩)
(Illustration: いなばゆみ)


(*15) タウン情報誌
女子大生や20代前半OLのバイブルだった『JJ』や『CanCam』はワンレン・ボディコンを浸透させ、88年創刊のHanakoはイタメシブームやティラミス、ボジョレー・ヌーボーなどを牽引。ananは89年に「セックスで、きれいになる。」特集を展開して話題に。

(*16) トレンディドラマ
1986年の『男女7人夏物語』と翌年の『男女7人秋物語』をきっかけとしたスクランブルする恋愛ドラマ。87年のマスコミを舞台としたギョーカイドラマを経て、よりオシャレ化したトレンディドラマとして88年からフジテレビとTBSを中心に本格的に制作が相次いだ。
主演したW浅野(浅野温子・浅野ゆう子)や今井美樹や中山美穂、三上博史や陣内孝則や柳葉敏郎らはファッション雑誌の表紙の常連となり、ドラマ中のファッションやヘアメイク、言葉遣いや仕草まで「いい女、いい男のあり方」として昼間のオフィス街やアフター5でシンクロされるようになった。店や家電やインテリアもその対象となり、フローリングマンションやコードレスホンの普及にも繋がった。
夜の放送時間に観ていなくても、帰宅後に録画していたビデオでチェックした。大学生ものもあったが、やはりサラリーマンとOLたちの恋物語が支持された。なお、バブルが崩壊した1991年には『東京ラブストーリー』『101回目のプロポーズ』『逢いたい時にあなたはいない』などの純愛路線へと姿を変えた。『もう誰も愛さない』はバブルの総決算とも言える内容で評価が高い。
(主なトレンディドラマ/年代順)
1988年/『君が嘘をついた』『抱きしめたい!』『君の瞳をタイホする』『意外とシングルガール』、1989年/『君の瞳に恋してる!』『ハートに火をつけて!』『愛し合ってるかい!』『同・級・生』『雨よりも優しく』、1990年/『キモチいい恋したい!』『恋のパラダイス』『世界で一番君が好き!』『クリスマス・イヴ』『すてきな片想い』『卒業』『想い出にかわるまで』など。

(*17) 恋愛バラエティ番組
1987年にスタートした『ねるとん紅鯨団』のこと。司会のとんねるずが頻繁に口にした「ツーショット」「○○系」「彼氏・彼女いない歴○年」「○○みたいな」「男子・女子」などは、恋愛用語として定着。「ねるとん」は集団お見合いパーティの代名詞にもなった。

(*18) デート向け映画
ホイチョイ・プロダクション原作の遊び発見映画。『私をスキーに連れてって』(1987)ではスキー、『彼女が水着にきがえたら』(1989)ではスキューバダイビングを取り上げ、若い世代の遊び心を刺激。そんな彼らが『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』(2007)を発想するのは必然だった。
また、洋画も重視された時代で、特に『トップガン』『ハスラー2』『カクテル』『レインマン』といったトム・クルーズ主演作は遊び発見映画として人気が高かった。他に『ウォール街』『ワーキング・ウーマン』『プリティ・ウーマン』『ゴースト』なども忘れられない。

(*19) CM
コピーが街の空気を反映したものとして、「職業選択の自由、アハハ〜ン」(学生援護会・サリダ)、「24時間戦えますか?」(三共・リゲイン)、「5時から男」(中外製薬・グロンサン)などがあった。また、JR東海の「クリスマス・エクスプレス」は山下達郎のクリスマスソングを定番化するだけでなく、TOKYOの男と女たちにクリスマスの一大イベント化を促した。余談だが、TV放送もコンビニもレンタルビデオも英会話やスポーツクラブも24時間営業が一般化したのはバブル期だ。

(*20) ボーナス
女たちは海外旅行やブランド品に使い、男たちは半年分の負債や車のローンをここで清算した。今の時代は貯金にまわす堅実な若者が多いが、あの狂乱の時代では愚の骨頂とされた。

(*21) 最新を追求
1987年に携帯電話が登場。当時は1kg近く重量があり、しかも加入料が29万、補償金が20万などと非常に高価なものであった。1991年に小型化されるが、それでも加入料は5万もした。

(*22) アルマーニズム
本文で描かれたようなヤンエグサラリーマンとニューリッチOLの強気な宴のすべてを指す。NYヤッピーやキャリアウーマンのライフスタイルのTOKYO版であり、小説や映画で描かれた『アメリカン・サイコ』とまではいかないまでも、ブランドやステイタスに執着する姿勢は同じだった。パーティでは証券、銀行、商社、不動産、マスコミ、広告など好景気に沸く大企業の肩書きが最大の武器だった。対義語として同時代の渋谷の高校生が傾倒したローレニズムがある。
不動産デベロッパー/カジノ経営者/企業買収家で、1987年には40歳で30億ドル以上の資産を築いたドナルド・トランプをアイドルにした者も多く、翌年には自伝本が翻訳化されてよく売れた。

(*23) 買収ゲーム
三菱地所がNYのロックフェラーセンターを2000億、ソニーがコロンビアを3700億、住友不動産がNYのマンハッタンビルを7000億、松下がMCA映画を7800億……。

(*24) 完全に弾けた
クレイジーな地価高騰が懸念される中、日銀の公定歩合の引き上げに加え、1990年3月に旧大蔵省が貸出先規制、不動産融資の総量規制を通達したことが原因となって急速に冷え込んだ。あることの終わりだった。

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