55万部突破の「翔んで埼玉」や「パタリロ!」の生みの親 魔夜峰央先生インタビュー Patariro&Flying to Saitama

2017.03.27

vol.16 My Boom
55万部突破の「翔んで埼玉」や「パタリロ!」の生みの親 魔夜峰央先生インタビュー

発売から3カ月足らずで55万部突破、売り切れ続出、未だ売り上げ部数が伸びている、漫画『翔んで埼玉』。埼玉県(県民)をディスっている!?と話題になったにも関わらず、購読者の過半数以上が埼玉県民という摩訶不思議な現象が起きている今作の筆者は、あの、かの有名なギャグ漫画、『パタリロ!』の生みの親である魔夜峰央先生。1978年から連載スタートをして39年目を迎えた『パタリロ!』は、単行本を読んだことが無くとも、アラフォー世代ならテレビのアニメを目にしたという人、衝撃を受けたという人も少なくはないはず。幼少期から今に至るまで、私にとっては、学びと笑いを与えてくれる唯一無二の漫画と言っても過言でない。

翔んで埼玉

今になってリバイバル、大ブームになっている『翔んで埼玉』のことを魔夜先生はどのように感じているのだろう。今回は、埼玉出身の編集部Nと共に魔夜先生ご本人にお話を伺った。

『翔んで埼玉』が作られた
思い出の埼玉県所沢


魔夜先生: 30年前の作品が、なぜ今?と。反響の大きさに私自身が一番びっくりしていると思います。最初は、マツコ・デラックスさんが出演している番組で取り上げられて、その後、宝島社から出版の話がありました。この作品は、もともと白泉社の<花とゆめ>で発表したもので、絶版ではないにしても今後出版する予定はないので、紙(媒体)であれば出しても良いという話になったみたいなんです。宝島社は初版2万5000部の予定だったそうですが、ネットのおかげか話題になり、いきなり10万部になって、その後、さらに発売日を遅らせるという連絡を受けて、なぜ?と聞いたら、もう10万部プラスして刷るので紙が足りないと言われました。

──今作のあとがきに、所沢に住んでいた時にプレッシャーやストレスがあったこと、その中で今作が誕生したと書かれていますが、当時の思い出を教えてください。

魔夜先生:漫画のことは、はっきり言ってほとんど覚えていないんですよ。当時は、反響も何も無かったですからね。私は、所沢の牛沼というところに住んでいて、車で5分位のところに白泉社の編集部長、<花とゆめ>の編集長が住んでいて……、緊張感のある日々を過ごしていましたね。私が住んでいた家の周りはネギ畑で、外に出て見渡すと青い空と緑のネギ畑しか印象に残らないような、とてものどかな場所だったんですよ。

ディスり漫画といわれる今作の反応とは?


──埼玉県民からのクレームや批判の声は無かったのでしょうか?

魔夜先生:これがね、無いんですよ。埼玉でなければ成立しなかった漫画だと思います。他の県であれば、すごいバッシングがあったかもしれない。県民性の違いというか、埼玉の人は鷹揚で大らかだと思うんですよ。それに、話題になったからといって私を呼んでより盛り上げようっていうこともしないし、なるようになるしかないというか、とても自然体なんですよね。心根の違いがあるのかな? 埼玉県民の大らかさは何故に?って、研究材料になりそうですよね。

──現在、<このマンガがすごい>(宝島社)で『翔ばして埼玉』を執筆されていますが、今後、『翔んで埼玉』の本当のラストが描かれることはあるのでしょうか?

魔夜先生:この先、描くことは絶対に無いです! 私自身、ちらっと読み返して、「うわっ! こんなこと描いて良いのか!?」って思う内容で、若気の至りというか怖いもの知らずだったなと。今描こうと思っても描けないですよ。

──あとがきに書かれていたように、現在は神奈川県に住んでいるという点も理由にあるのでしょうか?

魔夜先生:それは大きいですね。私は新潟出身なので、新潟で描いてみたらどうだろう?と言われたこともあるんですが、それは無理だなって思いましたね。生まれた環境を分析するなんてことは出来ない。私は、所沢にお客さんみたいな感じで住んでいたので、多少は外からの目で見れたところがあって描けた気がします。

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