なぜ古書店の間口は北向き? 何でも揃うナゾの街 神田・御茶ノ水のヒミツ Kanda-Ochanomizu's Intelligency

2017.05.29

Vol.18 中央線快速物語

日本最大のスポーツ店街「小川町地域」


さて、古書店街から小川町方面に靖国通りを歩くとスポーツ店街になる。大型チェーン店から個人営業の専門店までが軒を連ねる、日本有数のスポーツ店集中エリアだ。なかでもウィンタースポーツ用品は圧倒的な品揃えで、シーズンになると冬の女王・広瀬香美の曲と共に賑わいを見せる。



スキーとインラインスケートを扱うV3 Kadoyaは、昭和32(1957)年にオープン。この界隈のスポーツ店を取りまとめるキーマン、神田スポーツ店連絡協議会会長の角谷幹夫さんがいらっしゃるお店だ。ちょうど外出されていて角谷さんにはお会いできなかったが、店番をされていたお母様に「なぜこんなにスポーツ店が集まっているのですか?」とお尋ねしたところ「なんでだろうねえ」と不思議そうに答えられた。

お母様いわく、戦前この界隈は学生服を主体とした洋服店がたくさんあり、スポーツ店はミズノぐらいだったとか。いつから小川町地域はスポーツ店のメッカになったのだろうか。後日角谷会長に電話取材させていただいた。

「昭和30年代、日本は空前のアイススケートブームでした。近くに後楽園のスケートリンクがあったこともあり、スケート靴を扱う店が出てきました。学生街であるこの地域には、もともと戦時中から道具屋が数多くあり、学生は道具屋に物を預けて生活をしていました。その道具屋がスケート靴などのスポーツ用品や楽器、本などの買い入れを行っていて、それぞれが専門店へ発展していったのです」

なるほど。神田・御茶ノ水に専門店が集積したきっかけは道具屋で、ここは学生と一緒に育っていった街なのだ。スポーツ店に関しては、昭和47年札幌冬季オリンピックの年に始めたスキー専門のバーゲン店が大当たり。その後、スポーツ店出店ラッシュとなり、「私をスキーに連れてって」(昭和62年)でピークを迎えたのだった。そのスキーブームの終焉とともに、このあたりに数多くあったスポーツ用品の大型店も淘汰され、ちょっと寂しい風景に変わりつつある。

多種多様な楽器が集まる「駿河町地域」


もう一つは楽器街。集積した理由は、おそらく古書店街やスポーツ店街と同じだろう。昭和30年代に創業した老舗、下倉楽器、谷口楽器、石橋楽器はどれも道具屋から楽器屋に転向したと言われている(確かではないが)。



学生街であるがゆえに、学生の気質が変われば街も変わる。神田・御茶ノ水という街はどう変わっていくのだろうか。「予測できない。ものすごく大きく変わると思う」と語るのは、沙羅書房の初谷さん。とはいえ、残っているものを大事にしようという空気があるのも事実。こうした専門店はもちろん、“○○キッチン”と名のつく老舗洋食店、神田エリアには当然のごとく老舗蕎麦屋が多くあり、山の上ホテルやニコライ堂のような歴史的建築物なども大事にしてほしい。

多くの大学が新校舎を建て、大学というよりオフィスビルのようなものが増えてきてはいるが、散策すればこのエリアが東京の、いや、日本の“知”を担ってきた街だということが肌感として伝わるだろう。デートや合コンも“恵比寿”という今の学生に、良識ある日本文化が色濃く残る大人の街として“神田・御茶ノ水”を強くお薦めしたいと思うのだった。

(Text: Ayako Takahashi- TPDL
(Photo:Yuuko Konagai)

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