2017.07.18

Vol.19 渋い東京

“懐かしい未来”の専門店(前編)切り取った一瞬を宝物に変える平間写真館

流行は循環する…よく聞く言葉だが、その循環は単なる模倣で終わらない。時に、全く新しいものとして存在する。時代、人々、場所、それらの要素の影響は大きい。昔からあるものだけれど、今、この東京で新たなものとして勢いづいてきたカルチャーを二回にわたり紹介する。

唯一無二の宝をつくり出す「写真館」というスタイル


© 平間写真館TOKYO 平間写真館TOKYOの作品。腕のある写真家だからこそできる堂々のモノトーン。
誰もが簡単に高画質の撮影ができるようになった時代。スマホカメラも入れるとすれば、現代は歴史の中で最も高いカメラ保有率となっているのではないか。この時代にあえて「写真館」というスタイルのお店を出した大物写真家がいる。平間至さん。世田谷区池尻にある「平間写真館TOKYO」は、ファッション、音楽、舞踊、様々なジャンルの一流を撮りつづけている平間さんが、あえて一般の人を撮影するスタジオとしてオープンした店。なぜ今、写真館というスタイルの店を構えたのだろうか。

大きくとられたガラス窓から日が差し込むスタジオ。心地よい音楽が流れる空間でカメラを構えるのはこの館の主、平間至さん。写真を撮影する時はいつも音楽が一緒。数々のアーティストの撮影でも、この音楽が撮る側、撮られる側の気持ちを盛り上げる。



「最近思い出したのですが、メディアの中で仕事をしていたのは、写真館に戻るための修業のはずだったのです。すっかりそのことを忘れちゃって(笑)僕は大事なことから忘れていく癖があるんです」とおどけて見せる平間さん。昭和初期に宮城県で産声を上げた「平間写真館」の3代目。いくつものスタジオを持つ、地元では名の知れた写真館だった。大学で写真学科に進んだのも、家業を継ぐため。しかし、平間さんは東京ですっかり羽ばたいてしまった。「一人息子だったから、継ぐのが当然と思っていたのに、ついうっかりこんなに時間がたってしまって…」そうはいうものの、家業のことを忘れていたわけではない。どんなに忙しくても、成人式の時期には塩竈の実家へ毎年欠かさず手伝いに帰っていた。東京で平間さんに撮影を頼みたい人たちは、この“成人式スケジュール”に悩まされたという。実家の写真館での被写体はもちろん地元の新成人たち。多い時で400組の撮影がされていた。「信じられない数。自分じゃ到底できないです」その言葉には、父、祖父への尊敬の念がこもる。

写真が引き寄せるのは「良い思い出」


「脳には短期記憶と長期記憶があると言われますが、写真も似ていて、短期的な記憶はスマホに近く長期記憶は写真館に近いのではないかと思っています。特にデータだけでは実体がないので、プリントというものにすることが大切だと考えています。しっかり撮影したものは記憶にも、記録にも残るから」(平間さん)。
ポラロイドなどインスタントカメラで撮影した写真はすぐに色が劣化し見えなくなるが、スタジオで撮影した写真は保存がよければいく世代にもわたり残される。切り取られた一場面からその時の記憶がよみがえる。「写真は不思議と良い記憶しか思い出させない」。

震災後11日目、地元の自治体から靴がないとの声を受けた平間さんは、知人からスニーカーをかき集めて実家のある塩竈へと車を走らせた。避難所を訪ねると、ひとりのおばあちゃんが自分の20歳の頃の写真を持って平間さんに近づいた。「これは平間さんの所で撮ってもらった写真で、逃げる時、これだけはと思って持って出たんだよ」とおばあちゃん。街を歩くと全壊した家屋の上にも写真が沢山置かれていた。自衛隊や警察の人が、自主的に写真を拾い上げている光景が広がっていた。
「これがデータディスクだったら、こんなにみんなが拾っていなかったんじゃないかな」(平間さん)。この出来事も平間さんを写真館へと引き戻す大きなきっかけになったと話す。

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