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2016.02.12

vol.9 TOKYO NUDE
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「東京っていつからこんなにつまんない街になったんだろ?」
「東京に何かトキメキのようなものを見出すのは正直厳しい」
「東京の化けの皮みたいなものが剥がれてきてる気は確かにする」

ここ数年、こんな台詞をよく耳にするようになった。口にするのはほとんどが40代半ば以上の男たち。若い男女はこんなこと思ってもいないだろうし、同じ40代の女たちには共感さえしてもらえないかもしれない。

最初は単なる「疲れたオヤジの愚痴」ではないか?と思った。あの強烈だったバブル時代に多感な青春期を通過してしまったせいで、それ以降に続く対照的な不景気な時代(他世代にとっては当たり前の時代)で価値観の変換がうまくできないまま社会人や大人として成長し、今では東京で家庭を持つ立場として避けて通れない都市システムの囚われの身になってしまった者たちの「昔は良かった的な愚痴」 ではないか?と。

しかし、自分自身もこの“違和感”に関しては思い当たる節があったし、周囲から話を聞いたり、流れを振り返ったりしているうちに、長年の「一極集中のツケ」が今頃になって回ってきたのか?とか、いや、実はそれは「東京の老化」が原因ではないか?と考え始めた。

例えば、上京したばかりの者やインプット活動多感な10代半ば~20代半ばにとっては、東京はそれでも「刺激がある空間」にまだまだ映ってくれる。そして40代の女たちは「東京って便利な街よ」と口を揃えて言う。だが少なくとも、東京で最低25年以上は呼吸しているはずの40代半ば以上の男たちの五感によると、現在の東京に漂う空気は「そんなに心地よくない」という。

4年後の2020年には嫌でも世界から注目が集まる東京五輪を控えているというのに、これでは危機感さえ感じてしまう。どうしてこんなことになってしまったんだろう?

東京衰退の歴史的検証


TOKYOWISEで「Tokyo Pop Culture Graffiti~TOKYOに描かれた時代と世代の物語1983-2015」を連載中の中野充浩氏が綴っているように、東京にはかつて二つの表情があって、一つは「東京」でそこで何気なく暮らす人々が感じる日常空間としての場所。そしてもう一つは何か異様なパワーが渦巻いているメディアとしての「TOKYO」があった。

これはオシャレに目覚めた女の子のスッピンとメイク顔の違いの関係にも似ているらしいが、つまり「TOKYO」とは出入り自由のパラレルワールド(同時並行世界)という位置付けで、冒頭で男たちが口にした「東京」はこちらのことを指す(以下より東京→TOKYOに)。

やがてTOKYOの街文化は90年代半ば~後半の女子高生/コギャルによって到達と完成を見たが、21世紀目前になって「ネット空間」というもう一つのパラレルワールドがTOKYOに新たに構築されてゼロ年代を先導していく。続く10年代は「SNS/スマホ空間」といったところだろうか。その間に主役に踊り出たのはもちろん“自分たち以外”だった。

少し若いだけのネットベンチャー起業家たちが凄まじい勢いでリッチになった。そして同世代の女たちは「女子」という男子禁制の世界観(これもパラレルワールド)に同化して時代を軽やかに渡り始めた。いわゆる「ゆとり/さとり世代」と呼ばれるシェア感覚に長ける新しい若者たちも台頭し、TOKYOでは見えない存在とされてきた禁断のオタクやサブカル気質をポップでカラフルなものに変え(ギャルまでも同調)、その多重性よって「オタク」や「カワイイ」は東京(あるいは日本)が世界に誇る文化的キーワードまでになった。

PC、ケータイ、スマホといったように誰もが「ネット空間」を謳歌し始めた。ブログやSNSで気軽に発信者となりメディアにもなる。素人(シロウト)と玄人(クロウト)の区別が消え去り、灰人(グレイト)たちの知見が溢れる。一部の好感度な者が先導するアナログなクチコミの法則は完全に崩れ去り、TOKYOにいなくても(東京や地方や国外にいても)最先端の使える情報が瞬時に入手/共有できようになった。個人情報やセキュリティに対する意識も急激に高まった。

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