読書狂時代

2016.04.02

読書狂時代
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東欧文学がアツい!

年末に偶然出会ったパヴィチの『ハザール事典』を読んでから、中東欧文学にどっぷりとハマっています。『ハザール事典』のように独創的で、想像力に溢れ、スリリングなほどのアカデミックな刺激に満ちた作品が生まれたのは、『七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家』と形容されたユーゴスラビアの多元的な文化によるところも大きいのかな、なんて分かったようなことを思ってから、っていうか、すごくないこのトラブルの匂いしかしないミックス具合!? 

突然勝手に国が分割されたり、地図上から消されたり、ナチズムによるホロコーストが起こったと思えば共産主義者が戦車に乗ってやって来たり、果てには民族浄化まで起こったり……と、中東欧といえばやはりその悲惨な歴史が頭に浮かび、そんな国々に生まれた作家が書く小説はひたすら単調で陰鬱で救いがない地味な作品が多そう、という勝手なイメージを抱いて食わず嫌いをしていたのですが、いやいやいや読んでみると素晴らしい作品が山のようにあるのですね。多様な民族や文化が交じり合うことによって生まれた大いなる想像力、不条理な状況に対する武器としてのユーモアセンス、そして想像を絶する悲劇が生み出した筋金入りのヒューマニズムを持った作家たち、発禁や焚書は日常茶飯事、秘密警察に怯えたり、投獄されたりしながら、出版できる可能性もないのに書き続けた作家たちの作品が面白くないわけがないのです。とにかく独特な魅力に溢れている中東欧文学、ミラン・クンデラ(*1)だけで知ってたつもりになっていた自分にさよならを告げましょう!

と、いうことで個人的なオススメ三冊とミニ東欧文学ガイドをお届けいたします!

セルビア
ハザール事典
ミロラド・パヴィチ
工藤幸雄訳/創元ライブラリ/1620円


私的東欧文学ブームの火付け役になったのがこの本、『ハザール事典』。10世紀頃に忽然と歴史の舞台から姿を消したハザールという民族に関する事典と思いきや、なんと項目のすべてはパヴィチの創作。すなわち本書は事典の体裁をとった物語集なのです。というと、「架空の国の物語なんていくらでもあるじゃん」という声が聞こえてきそうですが、いやいや違うのです。『ハザール事典』はキリスト教に関する資料をまとめた『赤色の書』、イスラーム教に関する資料をまとめた『緑色の書』、そしてユダヤ教に関する資料をまとめた『黄色の書』という3つの事典から成っていて、読者は同じ物語をそれぞれの宗教の視点から三回読むことになるのですが、同じ出来事や登場人物のはずなのに相違や矛盾が起こっていることに気づくにつれ、ハイパーリンクのように張り巡らされたキーワードを頼りに3つの書、そして付属資料(これも創作)を縦横無尽に参照しながら読み進めることを余儀なくされるのです。その複雑に絡み合ったエピソードの関連性が明らかになり、全体像が見えた時の衝撃と言ったら!

地上に神を再現するべく他人の眠りに入り込む夢の狩人たち、イコン画家として生計を立てる職業悪魔(コイツ最高!)、七つの顔を持つハザールの女王などなど奇想天外でありながら異国情緒溢れる耽美で幻想的なエピソードはぞくぞくするほど魅力的。確かに浩瀚であり、ある程度の脳ミソの読書筋は必要かと思いますが、幻想小説であり、SFであり、知的ミステリーである『ハザール事典』は今までにない読書体験を与えてくれるはず。ちなみにこの本は男性版と女性版があるのですが(なんとその違いは10行程度)、女性は女性版を、男性は男性版を読まれることを強くお勧め致します。

それにしても、よくこんな本を書けたなあと、私は読了後思わずうーんと唸ってしまったのですが、はやり西と東の文化が交じり合い、様々な人種や宗教や言語が混在するユーゴスラビアならではの多元性が碩学パヴィッチの豊かでダイナミックな想像力を生みだしたのではないでしょうか? そう考えると、中東欧の底力にもう一度唸ってしまうのです。そして正直こんな本屋さんにあっても誰も手に取らなそうな小説をちゃんと二種類出版した東京創元社も素晴らしい! 東京創元社のためにも、みなさん買って読みましょう!

ポーランド
リシャルト・カプシチンスキ
黒檀
工藤幸雄・阿部優子・武井摩利訳/河出書房新書/2808円


最近、口を開けばオススメしている本当に素晴らしい文学作品がこれ。カプシチンスキはポーランドのジャーナリストなのですが、1932年、当時東ポーランド領だったピンスク(現ベラルーシ領)にて、教育者の両親の下に生まれました。そう、ナチスドイツやソビエトによるポーランド侵攻が1939年から始まるわけで、幼いカプシチンスキがどれだけの恐怖の中で育ったか想像に難くないはず。(想像できない方は『ポーランド侵攻』や『ポーランド人に対するナチスの犯罪』などの検索ワードをググって下さい。)そんなバックグラウンドを持つジャーナリストなのですが、もう彼のヒューマニティーはレベルが違う! 人種差別が横行していた時代に、ここまでフェアな視線でアフリカの現実を見つめられたのは、やはり権力に翻弄され続けたポーランド出身だからこそだと思います。マラリアに罹ったり、コブラに襲われたり、嵐の中ボートでクーデターの起こった国から脱出しようとしたり、インディアナ・ジョーンズを観ているような手に汗握る冒険も素晴らしいのですが、マジック・リアリズム(*2)を彷彿とさせるようなアフリカの日常や、ジャーナリストならではの人々や風土の強烈な美しさを描く力強い筆致にも圧倒されるはず。これは人生が変わる、世界に対して目を開かせてくれる特別な一冊です。買って今すぐ読みましょう。明らかに世界がきな臭くなって来ているにも関わらず、「オレはハッピーだから大丈夫」的なポップソングが大流行し、人々の関心は自分の顔のみというこの狂気のセルフィー時代だからこその必読書です。

チェコ
ボフミル・フラバル
わたしは英国王に給仕した
阿部賢一訳/河出書房新書/2376円


先日、都内某所の会員制レストランに連れてって頂いたのですが、裏世界の女帝のようなママがとめどなく繰り出す大物芸能人や政治家のゴシップ話が面白いのってなんのって。間違ってもここには書けない過激な内容で、正直本当かどうかもあやしいのですが、饒舌に語られる物語(明らかに三千万回ぐらいは繰り返されている感じ)にストーリーテリングの本質を見たような気がしました。

そんな酒場で聞くような笑いあり、エロスあり、しんみりありな四方山話をこれでもかと詰め込んだのがこの『わたしは英国王に給仕した』なのです。強い上昇志向を持った青年ヤン・ジーチェが給仕見習いから高級ホテルのオーナーになり、共産主義の台頭によりすべてを失うまでを描いた物語なのですが、ジーチェの口から語られる、ホテルのオーナーや給仕長たち、裕福なゲストたち、優しく美しい娼婦たちの荒唐無稽なエピソードが面白いのなんのって! 個人的にツボだったのは、ジーチェが勤めるホテルにエチオピアの最後の皇帝ハイレ・セラシエがやってくるのです。そう、あのカプシチンスキの名作過ぎる名作、そして何故これほどの素晴らしい作品が絶版なのか、遺憾でしかないっていうか世の中大丈夫かレベルの必読書、『皇帝ハイレ・セラシエ – エチオピア帝国最後の日々』のハイレ・セラシエです! そしてその昼餐会のエピソードがとにっかく奇想天外で面白いのですが、カプシチンスキの本を読んでいると、「これ、百パーセント法螺話でもないよな」と思う部分もあり、想像力が掻き立てられてしまうのです。

もちろん平和は長く続かず、ナチズムの影が忍び寄り、ついにはチェコ全土を侵略し、ジーチェは愛する妻を失います。またナチズムの脅威が終焉したと思ったらすぐに共産主義時代がやってきて、今度は財産すべてが没収という憂き目に遭ってしまう。しかし、物語のトーンが変わるかといえばそんなこともなく、ただ運命を受け入れていく姿は滑稽でありながらグロテスクで、人生ってのはなあ、と思わず考えてしまうはずです。これぞ文学!

発禁処分を食らったり、そもそも出版できなかったり、秘密警察に怯えながらアンダーグラウンドで創作活動を続けたフラバル。チェコではミラン・クンデラよりもずっと人気らしいですが、作品から溢れ出る民衆への愛を感じればそれも納得できるはずです。ちなみに、ものすごいお金持ちがホテルで放蕩の限りを尽くすのを見て、「こういう人たちこそが労働は美しいなんて言うのだ」とジーチェが気づくシーンがあるのですが、うん、労働なんてそんなものだと私も思います。

おまけ
ミニ中東欧文学ガイド

中東欧文学ははっきり言ってしまうと日本語で読めるものがとても少ないです。翻訳されているものでも英語、フランス語、ドイツ語などからの重訳が多い模様です。その中で松籟社の『東欧の想像力シリーズ』はすべてオリジナル言語から翻訳するという気合いの入りよう。東欧のエキスがぎゅっと詰った濃い作品が多いので要チェックです。また東京創元社も素晴らしい中東欧作家の作品を出版しています。もう感謝の気持ちしかありません。この場を借りて、ありがとうと伝えさせてください。ありがとう!

ルーマニア
ミルチャ・エリアーデ
『マイトレイ』

宗教学者が書いたインドを舞台にした官能的な恋愛小説。マイトレイがとにかくかわいいのです。(しかもモラヴィアの『軽蔑』と一緒に収録されています。お得すぎるので今すぐ買いましょう。)

アルバニア
イスマイル・カダレ
『夢宮殿』

国家が国民の夢を管理する世界を描いた、というとよくあるディストピア小説かと思われるかもしれませんが、そこにはやはり東欧らしいのヒネリが利いているのです。間違いのない名作。

ブルガリア
エリアス・カネッティ
『眩暈』

ノーベル賞を受賞しているので知っている方もいらっしゃるかも。読書好きを自称する方にはネタ的に読んでおいていい本。改装版が4860円で売っています。高い!

ハンガリー
シャーンドル・マーライ
『灼熱』

独特なナラティブのペースを体験するだけでも読む価値あり。陰のある美しさや、純粋で揺ぎない感情、そして己を燃え尽きさせてしまう情熱。ハンガリーの底力を感じさせます。マーライの不遇さにも涙。

text : 今泉渚
画像提供 : Penguin VINTAGE


今泉渚
ニューヨーク大学文学部卒業。外資系ブランドのPRを経て、独立。現在はフリーランスPRと翻訳家として活躍する。夢は書店で同じ本を手に取ろうとした人と恋に落ち、結婚することだが、少しでも多くの読書時間を捻出する為に本はもっぱらオンラインで購入している。読書感想ブログ『本のPR』ではジャンルにとらわれない古今東西の名作を紹介。


(*1)ミラン・クンデラ
チェコの作家。フランスに亡命したため、執筆は母国語のチェコ語ではなくフランス語で行っている。共産党に対抗した作家として知られているが、近年は反体制のスパイを密告したという疑惑も。代表作は『存在の耐えられない軽さ』。

(*2)マジック・リアリズム
魔法や神話的な要素をリアリズム小説の中に入れ込むラテン・アメリカ文学発祥の技法。

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