ジュリアナ伝説・女子高生/コギャルの時代 -東京“パリピ”ストーリー〜リア充の変遷30年史②-PARTY PEOPLE HISTORY 1991-2000

2016.12.29

vol.14 TOKYO PARTY

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SCENE④ 1999〜2000年
ネット文化が起業家に侵略された世紀末というパーティ



──コギャルの呼び名が「ギャル」へと移行したのが1999年。“ガングロ・ヤマンバ”とか、まさにコスプレ色の強い次世代の登場です。

109のカリスマ店員が脚光を浴びて、昔コギャルだった世代が“お姉ギャル”になるストーリーも開かれました。小室サウンドの終焉と入れ替わるように、浜崎あゆみや宇多田ヒカルが大ブレイク。携帯電話にインターネット機能が加わったiモードがサービスを開始したのもこの年です。“ケータイ”がギャルたちのパーティアイテムに組み込まれるのは必至でした。

──絵文字、着メロ、待ち受け、占い、ゲームなどが流行りましたね。翌年には液晶画面のカラー化やカメラ機能も加わっています。

同じ渋谷の街では、別の動きが来たるべき時代のメガパーティを企てていたことにも注目です。IT革命に可能性を賭けた若き起業家たちが1999年にビットバレー宣言をして、ナスダック・ジャパンと東証マザーズという新興市場の後押しによってネットバブルが沸騰しました。翌年に六本木ヴェルファーレで「ビットスタイル」という大規模なパーティを開いて、お忍びで参加していた当時の都知事や日銀総裁と祝杯を上げたのがそのピークと言われています。

──サイバースペースに入り込む映画『マトリックス』が公開されたのも奇しくも1999年です! 世紀の変わり目となる大晦日のカウントダウンパーティも盛り上がりました。

90年代を通じて原住民のオタクや理系学生たちが密かに育んでいたネットカルチャーは、“世紀末”とか“ミレニアム”といった言葉が頻繁に飛び交ったこの2年間で、1995年あたりから攻防戦を繰り広げていたベンチャー起業家たちに永遠の侵略を許してしまったのだと思います。
(次回③へ続く)

★東京“パリピ”ストーリー〜リア充な人々の変遷30年史①は狂乱のバブル・ディスコパーティの時代 -東京“パリピ”ストーリー〜リア充の変遷30年史①- PARTY PEOPLE HISTORY 1986-1991から
★1994〜2000年の詳しいことについては、下記で連載中。
「Tokyo Pop Culture Graffiti~TOKYOに描かれた時代と世代の物語1983-2015」


中野充浩
文筆家/編集者/脚本家/プロデューサー。学生時代より小説・エッセイ・コラムなどを雑誌で執筆。出版社に勤務後、現在は企画プロデュースチーム/コンテンツファクトリーを準備中。
著書に『デスペラード』(1995年)、『バブル80’sという時代』(1997年)、『うたのチカラ』(2014年)など。「TAP the POP」で音楽と映画に関するコラムも連載中。

(Text:TOKYOWISE編集部)
(Illustration:ハシヅメユウヤ)

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