ネット革命と起業家・SNSと女子の時代 -東京“パリピ”ストーリー〜リア充の変遷30年史③- PARTY PEOPLE HISTORY 2001-2016

2016.12.30

vol.14 TOKYO PARTY

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SCENE⑦ 2010〜2016年
SNSでアーカイヴ化される“こちら側”のパーティ



──いよいよ直近の時代です。この数年間でハロウィン、EDMフェス、リムジンパーティ、ナイトプール、泡パーティ、ラン系イベント、スライド・ザ・シティ、オクトーバーフェスト、グランピング、リアルマリオカートなどのコンテンツが次々と定番化するとともに、「パリピ」なる言葉も浸透しました。これについてまずは何かありますか?

従来のパーティと比べて相違点を述べよと言われたら、「その瞬間を楽しむこと以上に “事後報告”が同時機能する場になった」と答えます。そんなアーカイヴ化の流れとシンクロするかのように、どのパーティからも強烈な色気と体臭、ボーイ・ミーツ・ガール的要素が明らかに弱まりました。常時接続されたコミュニケーションツールがケータイからスマホ、Webからアプリへと移行する中、言うまでもなくTwitter、Facebook、LINE 、InstagramといったSNSの影響です。

──そこでフォトジェニックなパーティが“盛られた出来事”となり、“加工された画像”になるワケですね。

フェイスブックは“人生のグレイテスト・ヒッツ”を、インスタは一番出来のいい自撮り(セルフィー)を連発する場。ツイッターやラインは「このパーティつまんない。来るのやめた方がいいよ」みたいな“実況中継”に使われたりもするので、主催者側にはPRメリットの反面、マイナス情報拡散の心配も増えました。以前と違ってイニシアチブは参加者です。

──インスタのハッシュタグ検索や自分好みの情報選択ができるキュレーションアプリを使い込んでいると、「世の中って割と自分寄りの出来事で溢れている」錯覚に陥ってしまう。っていう話を最近よく聞きます。

デジタルネイチャーとかミレニアルと呼ばれる若い世代ならともかく、いい年した大人がそういう感覚になるのはちょっと問題ですよね。東京に妙に子供じみた大人が増えていることと無関係ではない気がします。先ほどの話にも出ましたが、30〜50代の女性が“女子”化していることに違和感を持っている男たちは少なくありません。

──中野充浩さんが「1969年の30歳は学生たちから“あちら側の大人”として扱われる羽目になったのに、どうして2010年代の30歳や40歳はまだ“こちら側の若者や女子”でいられるのか?」って書いていたのが印象的でした。何日間も自分のバースデーを祝う行為や“美魔女”なんてその最たる例だと。

そうですね。40代後半〜50代前半のマダムはバブル的な価値観からどうしても抜け出せませんし、今の30代ママたちは元祖コギャル世代の人たちです。サロネーゼもママ友ランチも極めて東京っぽい動きだと思います。ワークショップ、マルシェ、目黒川の花見、パンケーキ、サードウェーブコーヒー、公園のフードイベント……彼女たちが触れればすべてが真昼からパーティ化。ママコミュニティを対象にしたイベントも盛んに行われています。また、ガンダムやウルトラマンに代表されるヒーローが父親の頃と今の子供が同じになったので、こういうことも“こちら側”現象の要因の一つかもしれません。、

──この時代で他に何か特筆すべきものはありますか? ネオギャル、街コン、シェアハウス、海の家のクラブ化、レセプションへのブロガー導入、評価経済、ゲーミフィケーション、風営法の改正、AI、IoT、VR、ARなど、パーティネタは豊富です。

個人的にはSNSの浸透で女子高生特有のクチコミ・ヒエラルキーが完全に崩壊してしまったことは残念です。都心の高校生でも田舎の高校生でも、今は同じ瞬間に同じ情報が得られます。高校生人口の減少もあって、最強の“パリピ”が都心の女子高生だった時代はとっくに終わっていますが、それを踏まえても、東京発のポップカルチャーの未来という観点ではかなり大きな損失だと思っています。

──2020年には東京五輪が控えています。世界中から多数のパリピが集まって来るという意味で大きな転換期になりそうですね。

玄人(クロウト)にはなれないけど、素人(シロウト)でもない。その狭間的にいる灰人(グレイト)たちによる知見がさらに氾濫していく世の中で、東京が一体どんな楽しみを提供できるのかが興味深いです。

──それでは30年語りの最後になりました。締め括りをお願いします。

「パーティは人間関係を学べる場だ!!」と綺麗に締めたいところですが、経験上そんなことは言えません(笑)。真の人間関係に触れ合うなら、一人一人の喜怒哀楽の表情が見えて、住む人それぞれに役割があって、みんなで町作りに均等に参加しているスモールタウンのような田舎町に根付いた方が絶対いいに決まってます。スケジュールを埋めること=リア充じゃないですから。パーティは街へ出ることの意義を教えてくれますが、「運命の出逢い」とか「孤独の救済」とか、東京のパーティに過剰な期待は禁物。「何か面白そうじゃない。ちょっと行ってみようよ」くらいのフットワークの方が、その夜その人にとってとんでもなくハッピーなことが起こったりする。その程度の気持ちであり続けることが、“東京的”なんだと思います。(終わり)

★東京“パリピ”ストーリー〜リア充な人々の変遷30年史①は 狂乱のバブル・ディスコパーティの時代 -東京“パリピ”ストーリー〜リア充の変遷30年史①- PARTY PEOPLE HISTORY 1986-1991から
★東京“パリピ”ストーリー〜リア充な人々の変遷30年史②はジュリアナ伝説・女子高生/コギャルの時代 -東京“パリピ”ストーリー〜リア充の変遷30年史②- PARTY PEOPLE HISTORY 1991-2000から
★1994〜2000年の詳しいことについては、下記で連載中。
「Tokyo Pop Culture Graffiti~TOKYOに描かれた時代と世代の物語1983-2015」


中野充浩
文筆家/編集者/脚本家/プロデューサー。学生時代より小説・エッセイ・コラムなどを雑誌で執筆。出版社に勤務後、現在は企画プロデュースチーム/コンテンツファクトリーを準備中。
著書に『デスペラード』(1995年)、『バブル80’sという時代』(1997年)、『うたのチカラ』(2014年)など。「TAP the POP」で音楽と映画に関するコラムも連載中。

(Text:TOKYOWISE編集部)
(Illustration:ハシヅメユウヤ)

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