完全ファン目線の安室奈美恵論

2018.06.01

完全ファン目線の安室奈美恵論

【完全ファン目線の安室奈美恵論 Vol.6】

“絶対リズム感”がもたらす特異な歌と踊り

沖縄県民栄誉賞を受賞したり、H&Mのキャンペーン・アンバサダーとして渋谷の街を再び彩って“凱旋”を改めて印象付けたり、かつて浜崎あゆみに明け渡してファンをざわつかせたViséeのミューズに返り咲いたり。引退を控えて残務処理的な仕事の仕方に以降するどころか、次々と新たな展開を見せる本人を横に、筆者はといえば相変わらずメソメソしている。『Finally』はまだ聴けないので、最近は主に昔のアルバムを聴いているのだが、そんな中で気づいたことが。音楽というのは一般に、聴いていた当時の情景や感覚を蘇らせる媒体となる芸術だ。だが安室奈美恵の音楽を聴いていると、蘇るのは当時の自分以上に、彼女のライブの光景なのだ。それだけインパクトのあるライブをしてきたのだと改めて実感した時、ようやくその中身である“歌と踊りの特異性”について書く元気が湧いてきた。

身体で音楽を奏でるようなダンス

安室奈美恵には絶対音感ならぬ、絶対リズム感とでもいうべきものがある。小学校の音楽の授業を思い出していただきたいのだが、クラスに必ず何人かは、タンバリンやカスタネットでリズムを取るという単純な動作すらままならない生徒がいなかっただろうか? リズム感というのは恐らく天性のもので、ない人の極致が彼らだとしたら、その真逆にいるのが安室奈美恵だ。リズム感を持って生まれていなくても、訓練さえすればカウントくらいは取れるようになるだろう。高い身体能力と、技を丁寧に磨く根気とセンスがあれば、プロのダンサーにだってなれるかもしれない。だがそうしたダンサーは得てして、ガムシャラに、ドヤ顔で踊りがちだ。それはそれで別の意味で好ましいのだが、身体が音楽を奏でるような安室奈美恵の踊りは、天性のリズム感に恵まれた者だけが成し得る特異なものである。

例えば、8ビートの5拍目で右手を、7拍目で左手を前に出す振付があったとしよう。カウントで踊られるダンスは、5拍目と7拍目を目指して、右手と左手がそれぞれ動いているように見える。だが安室奈美恵の場合、身体全体が常にリズムを感じて動いていることの結果として、たまたま5拍目のちょうど終わりまでに右手が、7拍目のちょうど終わりまでに左手が前に出たように見えるのだ。どんなに激しい振付もサラリと踊っている印象になるのもそのためで、これほどのリズム感を持ったダンサーは日本ではそうそう見かけない。こんなことを言ったら今のアメリカでは人種差別と非難されてしまうのかもしれないが、他意がないからこそ言わせてもらうと、黒人ダンサーに近いものを感じる。どちらも心底大好きだ。

絶対リズム感は、激しいダンスを軽やかに見せるだけでなく、ちょっとした動きをもダンスにしてしまう。例を挙げたらキリがないのだが、ステップを軽~く踏みながら肘から先をただ左右に振っているだけの『Don’t wanna cry』の間奏は、何度観ても惚れ惚れするほど見事だ。同じ動きを筆者のようにリズム感のない側の人間がやると、買い物袋を提げて歩くサザエさんのような仕上がりになる。そのもっといい例が『CAN’T SLEEP, CAN’T EAT, I’M SICK』で、あのサビは一般人が真似すると「三瓶です」にしかならない。また、決まった振付のないミディアムナンバーなどで本人がごく自然に行う“ファンを指さす”“拳を握る”といった動作も、自分でやってみるとびっくりするくらい演歌歌手みたいになるので注意が必要だ。人前でやることはお勧めできないが、一度チャレンジはしてみてほしい。安室奈美恵の絶対リズム感を、きっと実感してもらえることだろう。

ウラで取り、意味を伝えながら歌う

歌の特異性を語る上でも、この絶対リズム感は欠かすことのできない要素だ。安室奈美恵の歌のうまさは、音域が並外れて広いとか化け物級に声量があるとかいう分かりやすいところにはないため、“ものすごくうまい”と認識している人はそこまで多くないかもしれない。だが、特に小室プロデュースを離れてからの楽曲は聴いていると簡単そうでも歌おうとすると猛烈に難しく、そのカラクリは常にリズムをウラで取らなければならないことにある、というのが筆者の持論。例えば『チューリップ』を、「咲・た・咲・た・チュ・プ・は・が」という小学校のカスタネット的な表拍でも、また「い・ぁ・い・ぁ・リッ・の・な・ぁ」という単純な裏拍ですらなく、「ぁ・ぃ・ぁ・ぁ・ぁ・ぃ・ぁ・ぁ(以下省略)」レベルにウラで刻んだ時、初めて音楽に聴こえるような楽曲ばかりなのだ。その上、最近は多くが全英語詞だったりするから尚更難しく、これを踊りながら歌っていると思うと驚異しか覚えない。

ほかにも、耳に心地いい声質、跳躍音程を確実に決める制御力、ビブラートやアクセントの匙加減の嫌味のなさなど、安室奈美恵の歌の特異性を形成する要素は多々あるが、中でももう一つ特筆しておきたいのが、歌詞の意味を伝える力だ。ハッピーな歌詞は笑顔で歌っていることが、顔が見えなくても分かるほどのその表現力が、楽曲に大いなるパワーを与えている。ファイナルツアーmy初日での“変換現象”も、彼女の歌う「私」と「あなた」に、それだけの力が宿っていたからこそだろう。さて、あの時は遠く思えたmy最終日が、いよいよ数日後に迫ってきた。次回こそ、冷静なレポートをお届けできることを願ってやまない。

(Text:町田麻子)
(Illustration:ハシヅメユウヤ)


町田麻子
フリーライター。早大一文卒、現在東京藝大在学中。主に演劇、ミュージカル媒体でインタビュー記事や公演レポートを執筆中。
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