vol.11_title_東京ローカル事情

2016.07.12

vol.11 TOKYO SYSTEM
足立区、品川区、東京ローカル事情

東京育ちは田舎くさい?


実家が東京の品川区だと言うと、「お金持ち!?」「めちゃ都会っ子〜」などと驚かれる。「品川なんて全然田舎だよ」とこたえると、嫌みに聞こえるだろうか。ただ、一般にイメージされる「品川」は品川駅周辺のようなのだが、実は品川駅が所在しているのは港区だ。では品川区はどこなのかというと、山手線でいうと目黒駅や大崎駅。目黒駅は目黒区ではなく、品川区にあり、品川駅は港区にあるという地方出身者にはややこしい事実なのだが、東京の城南エリア(※1)に住んでいる人間なら大体知っているうんちくだ。

私は母の実家である大田区で生まれ、品川区の京急沿線で育ったが、江戸時代に品川宿があり賑わった青物横町辺りの旧東海道は今も下町の風情が残り、全然洗練されていなくって、そんな地元がいかにも「東京らしい」と感じる。「いや、東京といえば浅草でしょ!」とか、地方の若者からしたら原宿あたりが「ザ・東京」なのだと言われそうだけれど。

では、最も”東京らしい町”ってどこだろう。外から見ると前述の浅草や原宿のように、東京のガイドブックに載っているような、観光地の役割を担っている場所であるように思える。
しかし東京出身者は、自分の生まれ育った場所こそが”東京”であると潜在的に信じているし、そもそも通勤でもない限りあまり地元を離れず他のエリアに行かないので、案外地元以外の”東京”を知らなかったりする。

品川区
– 城南エリア –


例えば筆者の地元では、結婚しても実家の近くを離れず、自分たちが通っていた幼稚園に子供を入れたら同級生の子供が同じクラスだったり、自分の同級生の親と自分の親が幼なじみだ、というケースもよくある。地元をうろうろしていると必ず知り合いに会うし、噂話もあっという間に広がっていて、自分が直接話していないことも(家族を経由して)地元の友人に知れ渡っているということもしょっちゅうだ。それだけ東京23区内といっても特定の地域の社会は狭く、人の距離は近いし、「村文化」が残っているように思う。

さて、城南と呼ばれる筆者の地元はそうだが、他のエリアはどうなのだろう?気になるのは城南と対をなす、城北エリア。中でも昔から「23区で一番治安が悪い」というレッテルを貼られている足立区は扇で生まれ育ち、町内会の役員も務められているSさん(60代男性)とお話する好機に恵まれたので、内情を伺った。

足立区
– 城北エリア–


足立区の一角

まず、「どうして足立区はガラが悪いと言われるのか?」という疑問だが、Sさんが子供のころ(約50年前)、荒川から北に位置するあたりに貧困街があり、喧嘩が頻繁に起こったりして、危険なエリアとされていたらしい。その辺りもSさんが成人する頃にはだいぶ落ち着き、その後10年程前に区長になった女性が、足立区の悪いイメージを払拭しようと積極的に活動をした結果、「自治体別刑法犯発生件数(23区)」ではずっと上位をキープしていた同区が、平成28年度はワースト4位 (※2) にまで引き下げられた。
とはいえ、低所得者が23区で一番多く、クラスで半分しか給食費が回収できない小学校さえあるというから驚きだ。その理由は、「高校卒業後、すぐに結婚して子供ができ、離婚してしまう人が多く母子家庭で低収入だったり、23区で地価が一番安い(新築一戸建てで2,000万円代〜)ため、全国からどんどん所得が少ない人が集まってきてしまい、生活保護を受けている人も多い」ということが考えられる。大学に進学する人は少なく、職業は現場の作業員やトラックの運転手といった肉体労働者が多い。このように財政状況は悲惨な足立区だが、Sさんによると悪いことばかりではない。町内会は月一で開催されるが地域の人たちの結束は強く、誰かに何か困ったことがあるとみんなで集まって助け合ったり、音楽活動をしているSさんの娘さんの晴れ舞台には町内のみんなで応援に来てくれたりと、家族ぐるみの濃い付き合いが根付いている。「たまに喧嘩もするけど、しょっちゅうみんなで飲みに行ったり。何十年もそうやって付き合ってきた」。若い世代にもどんどん積極的に自治会に参加してもらえるよう、町内で運動会なども企画しているそう。苦労することはあれど、Sさんにとっては、やはりここが一番居心地の良い”東京”のようだ。

中央区
– 都心エリア –


三社祭

さて、そんな矢先、青山で音楽会社を経営している友人Oさん(30代女性)に久しぶりに会う機会があった。彼女は中央区月島の出身で、昨年子どもを出産し、今は勝どきのマンションに住んでいる。タワーマンションのワンフロアにある認可保育園に子供を預けているというので都内にありがちな「マンション一室」の保育所を想像したが、話によると収容人数は200人※2 で、園庭もあるという。さらに、目の前に建つ自宅のマンションと同じ目線上にあるため、自宅の部屋から我が子が遊ぶ様子を覗くことができるというなんとも不思議な環境。こんな未来都市のような「中央区」からは想像できないのだが、地元の人の大学進学率は低く、同級生たちは屋形船や築地で働き、結婚、出産も早いという。「みんな稼業を継ぐか、そうでなければ友達の家に就職したり。私のような仕事をしている人は少なくて、たぶん何やってるか理解されていないと思う(笑)。」Oさんが実家のある月島ではなく、一駅先の勝どきに住んでいるのは、「地元にいると毎日知っている人に会っちゃうし、それはそれで窮屈だから」。彼女のご主人も城東エリア出身の人で、築地に勤めている。共通の友人はみんな中央区、江東区、江戸川区のどこかに住んでいて、定期的に地元で音楽イベントを主催したりしている。彼女は筆者と同世代だが、城南とは全然違う文化があるなぁと実感。

杉並区
-城西エリア-


コインランドリー

城南、北、東エリアはどこも(流入はあるが)人の流出が少なく、代々同じ家系の人たちが住んでいて、近所付き合いが残っている地域もある。それでは城西はどうか。弊誌編集長N(60代男性)は杉並区出身なのだが、「東京は皇居の回りからターミナル駅ができていって、新宿から西は最後に発展したエリア。外から入ってきた人が多いし、比較的高学歴で、高収入の人たちが多い」。なるほど、東にはこれ以上延ばせなくなって(江戸川区が最東)、山ばかりの西を最後に開拓していったのだ。吉祥寺やもっと西の国立なども新興住宅地で、おしゃれな雑貨屋やカフェも多く、優雅な雰囲気のあるエリアだ。Nにも「品のよさそうなおじさん」(笑)といったオーラがある。

外から見えた「東京」とはつまり外の人が形成した姿なのであって、凄まじい勢いで消費し、変化していく東京は実体のない泡の像のようなものだ。ローカルの東京では今でもゆるい時間が流れており、人々はあまりがつがつしておらず、地方出身の副編集長Mのことばを借りると「脱力している」のだそうだ。そういう人たちが心地よく生活している場所こそ、「東京らしい町」なのではないだろうか。それは、渋谷区や新宿区のような繁華街のある大都市にも必ず存在する場所だ。
もしまだ本物の東京に出会えていないなら、ひとまず脱力してみたらいかがだろう。

(Text:Nao Asakura

※1 城南、城北、城西、城東エリアの区分けは諸説ある。
※2 情報元: 警視庁 犯罪抑止対策本部 調査・分析担当
※3 都内の認可保育園の定員は平均およそ100人前後(各自治体のHPより分析)

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