幻想的な暗闇での栽培
東京の特産野菜「白うど」とは? You do Tokyo Udo?

2017.03.13

vol.16 TOKYO NEXT
幻想的な暗闇での栽培
東京の特産野菜「白うど」とは? You do Tokyo Udo?

東京の魅力を掘り起こし、発信するTOKYOWISEの編集会議で、『東京うど』の話をしたのは数年前のこと。私の出身地・立川市にはうど農家があり、幼少期の頃から馴染みが深くとても身近なものだった。が、東京出身者や長年東京に住んでいるという人の中には、「何それ?」と言う人もいて、「東京人たるもの、名物野菜といって良い東京うどを知らないとは何たることか!」と奮起して、取材を試みようとしたところ大きな壁にぶち当たった。「うどの写真が撮れない」。2〜4月に出荷されるうどの収穫前の様子を撮影するにはタイミングが重要だった。
下調べをし、タイミングを図って、今年ついに好機に恵まれた!
春の訪れを待つように、ワクワクの気持ちの中で取材した東京うどのあれこれをご紹介したいと思う。

1)そもそも、“うど”って何?



うどは、日本原産のウコギ科タラノキ属多年草。輸入野菜(外国産の野菜)が当たり前の今、日本原産の野菜は珍しく、うどの他に、ふき、みつば、わさび、あしたば、などがある。上記に挙げた野菜は、オールシーズンで食べることが難しく、特に3月が旬のものも多い。光の当たらない室(むろ)の中で大事に育てられる東京うど(別名、白うど)は、緑色を帯びた太い身の山うどとは異なり、その身は白く細長く、水々しいのが特徴で、栽培方法も実に興味深い。山の中でたくましく生きる山うどを男に例えるなら、白うどは過保護に育てられる嫁入り前の女のようにも思える。

2)どんな風に育っているの?



今回は、多摩地区で生産量No.1の立川市のうど生産組合長・鴻地さんのご協力により、特別に室の中へ潜入!
と、その前に、立川市のうどの歴史について簡単に言及。立川市でうどの生産が始まったのは、養蚕が衰退した昭和20年〜30年頃。武蔵野、小平、国分寺を経て立川に栽培技術が伝わり、収益性が高く、冬場の農閑期の貴重な収入源として栽培が盛んになったのだそう。また、防空壕を再利用して室が作られたという一説もある。今は、東京うど、立川うど、立川こまちといったブランドの白うどが流通している。

ガス抜き(日光を遮って育てているうど室の中に充満しているガスを煙突から外に出す)をした後、専用のハシゴ(ほぼ垂直)を使って2.5mの深さにあるうど室へゆっくりと降りる。
降り立つと、地上と繋がる穴とは別に、150cmの私が中腰〜屈まないと入れないほどの狭く真っ暗な空間が三路に広がり、そこには沢山のうどが! ※3mの深さにある室は、十字のように四路になっていることもあるそう。


うどの地下室(ムロ)はこんな風になっている。

肉眼で初めて見たその光景は何とも幻想的で、しばらく見入ってしまった。「これは、品評会のために、22日前に伏せ込みした立川こまちという短径のうどになります」と鴻地さん。
私が昔から知っている白うどよりも短い印象の立川こまち(※)、その違いについて質問してみると、「立川こまちは、50〜55cm程の長さなので一般の方が買いやすく、持ち帰りやすいという利便性を考慮して作っているものなんです。その点、昔から作っている東京うどは、75cm程の長さがあり、築地市場に卸したり、料亭やホテルで使っていただくことが多いですね」と。それぞれ栽培期間も収穫するタイミングも違うという。

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