※本作は、AIによる文章生成の実験として制作された短編連作です。
現代の東京に生きる人々の呼吸を、AIとともに描き出します。
在宅になってから、午前11時に家を出る癖がついた。
朝のメールを片づけ、洗濯機を回して、ベランダの鉢植えに水をやる。
鉢の間に小さなカタツムリを見つけて、少しだけ立ち止まる。
こんな小さなものを、ちゃんと見る余裕ができたことに気づく。
いいことなのか、寂しいことなのか、自分でもわからない。
ノートパソコンをカバンに入れて、駅前のカフェへ歩く。
午前11時の街は、出勤時間の熱気が去って、少しだけ緩んでいる。
信号待ちをする人たちの顔にも、どこかゆるい影が差している。
パン屋から漂う焼きたての匂い。
電動自転車のブレーキ音。
都会の生活音が、やわらかく溶けている。
私は編集者だ。
十年前までは、雑誌をつくっていた。
撮影現場のざわめき、デザイナーとの徹夜、校了日のハイテンション。
あの頃は「人の熱気」に包まれていた気がする。
けれど今は、在宅で一人、AIが書いた原稿をリライトする日々だ。
デスクトップの上では、誰も息をしていない。
AIライターは優秀だ。
速く、正確で、感情のノイズがない。
でも、読んでいて心が動くことはほとんどない。
整いすぎた文章は、静かすぎる。
完璧なのに、どこか薄い。
人間の言葉には、少しの歪みと体温が必要なんだと、
最近になってようやく気づいた。
カフェオレを頼み、窓際の席に座る。
背中の方で、女性二人の会話が聞こえてくる。
「夫がAIの占いにはまっててさ」「うちも毎朝聞いてる」
笑い声が重なり、店内が少し明るくなる。
こんな何気ない声を聞くと、ホッとする。
文章にできない音。
文字では届かない、人の“揺れ”のある声。
パソコンを開く。
今日の仕事は、陶芸家へのインタビュー記事のリライトだ。
彼の言葉の中に、「土は裏切らない」という一文があった。
編集部は削除を指示してきた。
「主張が強すぎるから」と。
私は少し考えて、「残します」と書いた。
誰かの信じている言葉を、機械の判断で消したくなかった。
画面の右下で、AI校正ツールが赤く光る。
「この表現は主観的すぎます」と通知が出る。
私はためらわずに“無視”を選んだ。
主観的な言葉こそ、人が生きる証だと思う。
窓の外を、スーツ姿の女性が通り過ぎる。
隣の席では、学生らしい男の子が就活サイトを眺めている。
斜め前の年配男性は、革表紙の手帳に細かい字を書き込んでいる。
それぞれの時間が、同じ空間の中で少しずつ流れていく。
まるで、違う旋律の音楽が重なって、
一つの“東京”というリズムをつくっているように感じた。
カフェオレを飲むと、ぬるくなっていた。
「まあ、いいか」と小さくつぶやく。
熱くも冷たくもない、その曖昧な温度が、今の自分みたいだ。
もう少し熱く生きてもいい気もするけど、
このぬるさが、今日をやり過ごすためにはちょうどいい。
スマホが震え、メッセージ通知が光った。
グループチャットの仕事仲間から。
「AI要約で一本記事仕上げた!便利だね」
私は既読だけつけて、スマホを伏せる。
便利さの裏で、誰かの仕事も静かに削られていく。
でも、それを誰も責められない。
時代の波に逆らうほど、もう若くはない。
店を出ると、空がやわらかく晴れていた。
風が吹いて、髪が少しだけ顔にかかる。
交差点の向こうで、小学生たちがランドセルを揺らして笑っている。
信号が青に変わるのを待ちながら、私はふと深呼吸をした。
都会の空気は冷たくても、まだ息をしている。
そのことだけで、少し救われた気がした。
午後になれば、また記事を書いて、誰かの言葉を磨く。
AIが書いても、人が書いても、
読んだ誰かが少しでも「わかる」と思ってくれたなら、それでいい。
言葉は、まだ死んでいない。
私も、まだこの街で生きている。
そう思いながら、カフェのドアを押して外へ出た。
人の声が重なる駅前のざわめきの中に、自分の呼吸が混じる。
次回第2話:「終わらない夜」(近日中公開予定)
――8時に退勤しても、結局家で仕事を続けてしまう30代コンサル勤務の男性。
AIツールやSlackの通知が絶えないなか、
“働くこと”と“生きること”の境界が曖昧になっていく夜を描きます。